「図書」8月号は一穂つながり

 先月末に届いていた岩波「図書」8月号を手にして、頭からページを

くくってみることにです。

 まずはじめに眼についたのは「玉露とパイプとコロッケと」という文章で

筆者は「みやこうせい」とあります。筆者について知るところはないのであり

ますが、「玉露とパイプ」とありますと、一人の孤高の詩人のことが頭に浮か

びました。

 この文章には「ある日の吉田一穂」と添えられていますので、みやさんが

描いているのは孤高の詩人のある日の姿であります。みやさんは週刊書評紙に

6年籍を置いて、その編集長は巌谷大四さんであったとありますので、これは

週刊読書人」時代の話でありますね。

 吉田一穂宅に原稿を受け取りにいったのは1963年初夏とあります。この

ときの文章はどんなものであったのでしょう。そのときには、吉田一穂さんに

ついては「何も知らず」で、「日本のマラルメ」といわれることを教えられて

たのみとあります。みやさんが1937年生まれの方であるとすれば、その時

26歳でありますか。

 最初の訪問の時のことを、次のように書いています。

「初対面の詩人は、大へん饒舌で、自問を交え語り継ぐ。毒気なく激する。

何せ俗事やらセンチメンタリズムから遥か超越して、言の葉は舞って幾何図形

に傾いていく。そして、窮極の表現は聴き手の生の感覚を昇華させて異なる

次元へ誘う。・・・

 話はなお続く。文学にまつわる放談の滝に身をうたす。一穂さんは語気激し

く、世上もて囃される有名詩人を何人も切って捨て、ほとんど罵倒する。

身に覚えがないのにぼくは畏まる。」

 このときには、原稿受けにとありますので、依頼してあった原稿を受けたの

でありましょう。さて、この文章はなにであるのかと調べてみましたら、週刊

読書人に書いた文章は、ほとんどなくて「昭和38年11月25日」に「唐詩

選」という文章を寄せていることがわかりました。

 初夏に受け取って、11月まで掲載されなかったのには、何かわけがあった

のでしょうか。

 ということで、このみやさんの文章には吉田一穂さんの代表的な作品「母」

が引用されているのですが、まったくの偶然でしょう、巻頭におかれた小池

昌代さんの「抱擁」というエッセイにも、この詩が登場です。

「むかし、吉田一穂という詩人が、『母』という詩の冒頭で、『あゝ麗はしい

距離〔デスタンス〕/つねに遠のいてゆく風景』と書いた。

すべて詩に連想が飛ぶのは、悪癖だが、ウィルス対策で、ヒトとの距離を開け

る必要があると聞いたとき、思いだしたのは、あの一行だった。」

 なるほど、「あゝ麗はしい距離〔デスタンス〕」ということから、吉田一穂

さんは思いだされているのですね。

吉田一穂詩集 (岩波文庫)

吉田一穂詩集 (岩波文庫)

  • 作者:吉田 一穂
  • 発売日: 2004/05/18
  • メディア: 文庫