30年前の新刊

 「海鳴り」を送っていただき、それを見て編集工房ノアさんに注文していた本が届
きました。注文していたのは、いずれも30年ほど前に刊行されたものですが、どちら
も新刊として在庫されていました。
 一冊は大阪文学学校の校長先生を長らく勤められた詩人小野十三郎さんのエッセイ
集であります。

 大阪文学学校には関心がありますし、それの支柱であった小野十三郎さんとはどの
ような人であったのかと思いますが、これはほとんどわかっておりません。その昔に
創樹社からでた「わがバリエテ」シリーズ(これには長谷川四郎さんの「知恵の悲し
み」と小沢信男さんの「若きマチュの悩み」の二冊がありです。)という偏愛のもの
の一冊としてでた「歌と逆に歌に」を購入したことがありました。小野さんの本を
購入したのは、その時以来ですから40年ぶりくらいですが、「歌と逆に歌に」の刊行
は1973年、そしてこの「日は過ぎ去らず」は1983年でありました。
(「アマゾン」ではプレミア価格がついていますが、版元に注文すれば定価での販売
となっています。よろこぶべきか、かなしむべきか。)
 「日は過ぎ去らず」には、副題として「わが詩人たち」とつけられています。
ここには初めて目にする人や著名な詩人についての文章があります。たとえば、富岡
多恵子さんについての文章は、題して「富岡多恵子の『歌の訣れ』」となります。
 この文章の書き出しであります。
「書棚や傍に積まれた本の中にある彼女の著作集の背文字を見ながら、いまは東京に
いる富岡多恵子のことを考えていたら、富士正晴の顔がうかんできた。別に顔が似て
いるからではない。昔の仲間の中には、たまに会っても、半分冗談まじりになんでも
打ち解けて話し合える者が何人かいるけれど、戦後になって親しく交わるようになっ
た詩人や作家の中では、そんな人はまあこの二人ぐらいだからである。」
 富岡多恵子さんは、学生のころ小野十三郎さんのところを訪ね詩人としてデビュー
した方ですが、富岡さんと富士さんにどのような共通点があると思っているのかは、
このあと小野さんが明らかにしています。それは読んでいただくことにして、今の
時代に富岡さんと富士正晴さんを並べても、そんなに違和感はないように思います
が(その後の富岡さんの著作をみていることもあり)、この文章が書かれた1976年に
は、読んだ人たちは、ほんまかいなと思ったことでしょう。
 この小野さんの文章にも記されていますが、思潮社版現代詩文庫の「富岡多恵子
集」には、富岡さんによる文章には小野十三郎さんの勤務先をいきなり訪ねたことが
書かれていまして、大学の頃に、富岡ファンの女性よりこの詩集を読むようにいわれ
たことを思いだすことです。