反戦小説集なのかな

 週末は、梶山季之さんの「李朝残影」などを手にして過ごすことになりです。

 今回の文庫を購入したときにも記したのですが、梶山さんというと売れっ子の

ライターさんという感じで、たくさんの仕事をこなしている時に、亡くなったと

いう記憶が残っています。健在のときには、梶山さんは違った世界のライターさん

でありましたが、亡くなってから古本小説を楽しみ、そして初期の小説を読むこと

になりです。

 今回の光文社文庫版には表紙に小さく「反戦小説集」と刷り込まれているのです

が、反戦というか厭戦というかであります。

1930年朝鮮生まれの梶山さんですから、敗戦を迎えたときは15歳でありまし

て、すでに分別のある年齢ですので、彼が朝鮮で感じたことというのは、その世代

の人たちにとっては思い当たることがあったのでありましょう。

 すくなくとも、最近の純粋戦後世代の人たちとは併合時代の印象は違うはずであ

ります。それは占領政策によって、そう思わされるようになったとか、自虐という

ことではないでしょう。

 この「李朝残影」という文庫本には、五本の小説が収録されていますが、表題作

と「族譜」という二本を読んだだけでありますが、これがけっこう苦痛を伴う読書

でありました。もちろん、その苦痛というのは大日本帝国朝鮮半島で行ったこと

について読むことになるからであります。。

 「族譜」というのは、総督府が行う創氏改名をすすめるために末端の行政職員

である主人公は、誇り高い朝鮮の長老と自分の上司に挟まれてしまって悩む話で

あります。

 創氏改名は強制ではないけども、それに応じなければいろいろと不都合が生じ

るというような締め付けで、長老さんを攻めていくのでありました。

あくまでも強制ではなく、任意ではあるので、受け入れるかどうかの自由は保証

されているけども、受け入れないときには、それ相応の不利益があるというよう

な仕組みであります。

 朝鮮半島での徴用というのには、この手法が普通に使われていて、それがため

に強制ではなくて、彼らが手をあげて参加したのだというのでありますが、最近

の若い人は、そうか強制ではなかったのかと安心するようです。この背後には

ものすごい圧力が働いていたわけでありまして、その苦しさでありますね。

 梶山さんは、小説で次のように書いています。

創氏改名をしたら、日本人と同等に待遇しようと、表面では甘い餌を曝しなが

ら、その実、当局が考えていたのは、何であったか。それは日本国民であるが故

に、果たさなければならない義務、つまり徴兵であり、徴用だったのである。

また税金であり、供出であった。従来の志願兵制度を、一気に徴兵制度に切り換

えるための、準備工作だったのだ。」

 創氏改名することによって日本国民になるという、この小説を読んでいて、頭に

浮かんだのは、数年前にあった大相撲の横綱の国籍取得のことでありました。

できるだけ昔からの伝統に忠実であろうとする大相撲の世界と、国際化した競技

としての大相撲の世界に入った人の、考え方の違いですね。

 日本国籍を取得しなければ、大相撲の親方になれないというのは、日本的な家

族感の反映でありましょうか。この家族感は、いつまでがんばることができるで

ありましょうか。