頭を冷やさなくては

 スポーツイベントも音楽ライブもほとんど中止になっていて、それで熱く

なることはないのでありますが、海のむこうの政治家や国内の為政者の

話すことなどを目にしますと、なんとなく頭がかっかとしてしまいます。

もちろん、そうなるのでありますから、そういうのは見なければよろしいの

でありますが、たまたま見ちゃったりするのですよね。

 こういうときには、頭を冷やすための本を手にすることになりです。

本日に手にしていたのは、藤田省三さんのセレクションでありましたが、

別な意味で頭はフリーズして、熱を発することになりです。

藤田さんの短いエッセイ風の文章でありましても、ほんとひどく難しいの

であります。何度か繰り返してよむのですが、まるでわかった気持ちには

なれないのに、部分を抜き出すと、この時代を予言したかのようなことが

書かれているのですね。

 そういえば、この藤田省三さんの著作を読んで編集者になることにした

と書いている人もいたことです。

 発表されたのは「思想の科学」でありますから、学術論文とは違って

社会批評ともいうべきものですが、それは発表されて35年を経過して一

層のこと読まれるべき文章であるのかもしれません。

 有名な「『安楽』への全体主義」という12ページほどの文章の書き出し

は次のようになります。発表は「思想の科学」1985年9月号です。

「抑制のかけらも無い現在の『高度技術社会』を支えている精神的基礎

は何であろうか。言い換えれば、停まる所を知らないままに、ますます『高度

化』する技術の開発を更に促し、そこから産まれる広大な設備体系や完結

的装置や最新製品を、その底に隠されれている被害を顧みることもなく、

進んで受け容れていく生活態度は、一体どのような心の動きから発してい

るのであろうか。」

 この課題設定に対して、藤田さん流の考察が書かれていくことになり

です。

 最初に置かれている分析の結語は、次のものでありました。

「不愉快な社会や事柄と対面することを怖れ、それと相互的交渉を行うこと

を恐れ、その恐れを自ら認めることを忌避して、高慢な風貌の奥へ恐怖を

隠し込もうとする心性である。」

 この文章のキーワードは「安楽」でありまして、それを伏せていますので、

なんのことか伝わらないでしょうが、「安楽」を極めていけばどうなるのか

ということについての考察です。

 最近の「コロナ」は、こうした「安楽」への最大の危機といえますね。