豚に真珠ではあるが

 これまでまったく読んだことのなかった安丸良夫さんの本を手にすることに

なりです。「法蔵館文庫」から「<方法>としての思想史」がでていて、これが

思いがけずにモール書店に並んでいたものですから、衝動買いをしてしまいまし

た。

 なかなか魅力的なタイトルでありまして、当方のミーハーな気分にささったの

でありますね。それと安丸さんが生きた時代の思想史の早わかりのような手際

の良さに惹かれましたです。

 この文庫本の冒頭に置かれたのは、「はしがき」という40ページ弱の文章です

が、これを見ると、本当にうまくまとめてくれてありまして、なんとなくわかった

ような気分になることです。

「1930年前後に体系化された講座派マルクス主義は、近代日本に焦点をおいて、

日本社会の特徴をその前近代性との結びつきによって説明した。丸山氏らの学説

も、こうした講座派マルクス主義をふまえて構成されており、・・前近代対近代、

民主主義革命と近代的個人の主体的確立による前近代的・封建的なものの克服と

いうのは、戦後民主主義の時代にふさわしい見取図で、明快な説得性があった。

しかしこうした説明原理は、近代日本を近代というものそのもののひとつのあり

方として説明する視角に乏しく、その点でおそらく啓蒙主義的な単純化であった。

そのため、やがて日本経済の高度成長という思いがけない現実の方が圧倒的な

リアリティをもってくると、こうした説明原理は説得力を喪失した。   

高度成長という現実に焦点をおいた説明原理は、日本社会の特徴をその後進性に

ではなく文化類型に求めて、高度成長を支えているのはそうした広い意味での文化

だとされるようになり、日本の伝統への再評価の気運が高まった。」

 ひとつひとつの言葉には難しいものはなくて、さらっと読むことができそうなの

でありますが、「近代日本を近代というものそのもののひとつのあり方として説明

する」というのが具体的にどのようなことであるのかがわかりませんです。

 たぶん、それが安丸さんのテーマの一つなのかと思うことです。

 前の引用に引き続いては、次のように書かれています。

「歴史意識を日本社会の自己意識の重要な内実として考えれば、この自己意識に

右のような転換がおこった画期として、1960年が重要である。60年安保闘争

池田内閣の登場、『所得倍増計画』と近代化論の登場などという一連の事態は、

今日から顧みていえば、戦後思想における啓蒙的近代の主張からその思想的な

よりどころを奪うもののようにその頃の私には見えていたのであり、そのことが

私を不安にしていた。」

 経済の高度成長は、「思想のよりどころを奪う」のでありますから、これに

かわるものを生み出していかなくては、流されてしまうということで、安丸さん

は格闘をすることになるのですね。

 現在においても、これと同じように「思想のよりどころ」が流されてしまって

いる人たちが大勢いるのでしょうが、さてよりどころは、見いだされるのかで

あります。