ここのところ世の中をさわがせていた騒動は、あっけない終わり方をするよう
であります。それにしても、ひどいお話でありまして、このようなストリーのお芝居
を作りましたら、リアリティがないと酷評されるでありましょう。
それぐらい現実離れした現実でありまして、これを頭脳明晰な人たちが理屈
で説明しようとしても、これは無理があることです。役人たちにとっては、ひどく
つらい時代になっているなと気の毒に思ったりです。
本日に辞表をだしたとかいう人も、もっと早くにやめたかったのではないかと
思ったりします。それこそ「暗愚社会の守護神」はもういいわという具合にです。
すくなくともそういうプライドはお持ちであったでしょう。
辞任の報道に接して喝采をあげている人たちもいるのでしょうが、彼にすれば、
最後の何年かがなければ、もうすこし普通の職業人としてまっとうすることが
できたのにと、ちょっと自分の能力の高さを嘆いているでしょうか。
ということで、本日は思いっきり低学歴(だからといって無学ということでは
ありません)の方の小説を話題とすることに。
戦後の日本では義務教育で中学校(もちろん新制)卒業ですから、これで
小説家としてやっていけてる人は、そうそういないことです。
現代でいけば西村賢太さんが、その代表となりますが、これは学校制度になじ
むことができないので、進学しなかったというのに近いのかな。
本日に読んでいた小説を、都合よく切り貼りしたら、次のようなストリートな
りです。
「貫多は、学校では一貫して金持ちの坊っちゃん風にからかわれていたのが、
不快だったこともあり、大学はおろか高校にも行かず、中学を出て以降は主と
して日雇いの港湾人足でその日暮らしを送ってきた」
「坊っちゃん」といってからかわれたことなどのために進学をやめて、自分
流の生き方を選択したというのですから、これは相当にすごいことでありまし
て、それが「貫多」を支えるプライドのもとでありましょうか。
なかなか恵まれた家庭に生まれ、育った人には出来ないことであります。