詩は読まないのに

 詩は読まないのですが、有名無名を問わず詩人について書かれた

文章とか、詩人の書いた雑文集を読むのは好きであります

 訳のわからない言葉遣いをする人の話のことをポエムとかいったりし

ますが、もちろんこれはポエムに対して失礼でありまして、世迷い言という

のがむしろ適切でありましょう。

 若い頃はみな詩が好きでありまして、当方のまわりにもそうした若い人

がたくさんいたのでありますよ。

 しかし、そのころ当方は詩人といえば、サローヤンの「我が名はアラム」

(このようなタイトルは三浦朱門さんの翻訳です。)にある「いわば未来の

詩人でしょうか」にでてくる少年のことを思い浮かべているのでした。

 当方は詩の好きな人たちから、伊東静雄の詩集や富岡多恵子の詩集

をもらい、岡本潤の「罰当たりは生きている」を読むことを勧められました。

その時代には、なぜかこの世界に近づいてはいけないという自衛本能が

働きました。

 このところ読んでいる三木卓さんの「若き詩人たちの青春」を読んでい

て興味深いのは、三木卓さんの同じ世代の詩人たちよりも、むしろ三木さん

の父親(若くして亡くなった)の詩の仲間について書かれたものでありまし

た。

 次のように始まります。

「父親は大正後半に静岡県の中学を卒業し、昭和初年には東京にいて

詩人の卵をやっていた。

 アナーキスト系詩人のかれ(森竹夫というのがその名前だ)は、じきに

挫折して中国東北で新聞記者になり、戦後の混乱期に無責任にも家族を

残して死ぬ。だが、若いころ付き合っていた仲間の詩人たちは、それぞれ

いい仕事を残した。

 戦後引き揚げてきてから、ぼくの母親は夫の昔の仲間に手紙を出し、

(亡夫にたむける詩をください)と頼んだ。今思うと忙しいみなさんに対し

て厚かましいお願いをしたもので、冷汗がでる。

 それでも多くの詩人が詩を送ってきてくれた。ぼくはその反応を見て、

父親はこんな人たちと知り合いだったのか、とひそかに驚いた。」

 ということで、詩は書いてくれなかったが葉書をくれた草野心平、木山

捷平、金子光晴岡本潤などについての思いでが書かれています。

 これを読みますとアナーキスト系詩人の子どもに生まれたいとは思わな

いことであります。

若き詩人たちの青春 (河出文庫)

若き詩人たちの青春 (河出文庫)

  • 作者:三木卓
  • 発売日: 2020/03/05
  • メディア: 文庫