3月10日のことはほとんど話題にならないのですが、2011年3月11日は
特別な日でありまして、強く記憶に残っていることです。
それから9年がたって、まだまだこれからということが多しです。そんなときに
「Fukushima50」とかいう映画が上映されていますが、原作者の名前を見た
だけで、ちょっと引いてしまうことであります。すくなくとも「アンダーコントロー
ル」という大見得を切りながら、海に放出するしか方策がないというのは、その
時点でわかっていたことではないのか。権力者の言葉をそのまま真に受けては
いけないということですね。もちろん、「アンダーコントロール」は東京オリンピック
が終わるまではという意味であったという抜け道が用意されているのでしょう。
そんなことを思いながら、発行日が3月10日になっている文庫本を手にする
ことになりです。この日のことを特別な思いで迎える人はすっかり少なくなって
いますが、そうしたお一人が小沢信男さんとなります。
この文庫本の冒頭におかれている「東京落日譜」(1958年)からの引用で
す。この作品は、1945年3月10日の東京大空襲の翌々日に当時中学生であっ
た主人公が友人と二人で被災した街を見て歩くという内容です。
「この焦土の中には、どれほどの生活必需品やら贅沢品やら買溜め物資やらが
吸いこまれてしまったものか。せめて地面に吸われのこった焼けこげの品物たち
を靴先でけとばしながら腹の底から声がでた。
『もったいねえなァ』・・
ぼくらはもったいねえの合唱をしながら、ずんずん焼跡を突っ切って歩いた。
ぼくらは小学生のころから、道に落ちた煙草の銀紙まで拾いあつめて供出し、
そのうち銀紙はおろか煙草までなくなって、こんどは制服のボタンを瀬戸物の
ボタンにつけかえて供出し、いまでは身につけた金具といったら帽子の徽章と
靴底の釘ぐらいのもので、・・・こんなに日頃いっしょうけんめいケチケチ暮らし
ているのに、一方でこうむやみに焼かれてしまっては、なんにもならない。
バカバカしさとなさけなさと口惜しさが交錯してやりきれなかった。」
この小説のはじまりは、3月10日の大空襲を伝える「大本営発表」の引用
からでありますが、いまや大本営発表といえば、権力に都合の良い真実を含ま
ない報道のことをいいますね。