ネットのコメント欄

 ネットでニュースを見たりして、そのコメント欄に投稿されているのが目に

入りますと、なんともまあと思うことが多くて暗い気分になります。もちろん

早々にページを離れるのですが。

 本日のネットニュースには劇作家別役実さんがなくなったとでていたのです

が、こちらのコメントには故人への敬愛をこめたものが多くて、ついつい見入っ

てしまいました。

 当方が学生の頃には別役作品は、あちこちで上演されていたはずですが、

それらを見ることなしに終わってしまいました。 

 当方の記憶に残る別役さんといえば、一つはお父さんが長谷川四郎さんと

満州時代に交流があったこととなります。

あれは何に書いてあったのだろうと、四郎全集の索引を見てみることになりで

す。たしか、外套という文字がタイトルにはいっていたはず、それでチェックした

ら、「道外的外套の話」というのが見つかりました。これだこれだ。

雑誌「ユリイカ」1973年6月号の「道化」特集に掲載されたもので、その後に

長谷川四郎の自由時間」に収録されたものです。

ユリイカ」道化特集は購入しておりますので、最初に目にしたのはこの雑誌で

ありますね。この文章には、次のようにありました。

「今を時めく劇作家の別役実とは面識はないが、その父君とは面識以上のもの

があり、友だち同士であった。別役をベッチャクとよみ、それをロシア風にもじって

ベーチャとわれわれは彼をよびならしていたので、今ではもう彼の親のつけた

名を覚えていない。戦争中に亡くなったが、死後、彼は私の中で依然として

ベーチャだ。

 ベーチャはロシア語がよく出来て、ソログープの作品が好きだった。私は北京の

古本街でソログープの、欠本だらけの彼得堡(ペテルブルグ)版の全集を見つけ

て彼にプレゼントしたことがある。『よし、記念に一杯のもう。』とベーチャは言った。」

 ベーチャさんについてのエピソードは、このあとも続くのですが、それは省略。

この全集解題(もちろん福島紀幸さんによるもの)には、ベーチャさんのことを次の

ように紹介しています。

「別役=ベーチャは東京外語ロシア語卒、満州国外交部に入り、そこで著者の三兄

濬と知り合う。著者は濬を通して知り合った。」

 ということで、別役さんといえば、この逸話を思いだすのでありました。

 そうしてご本人については、次の本をであります。

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 別役さんといえば、当方が学生のころにNHKで放送されていた朗読の時間、

「おはなしこんにちは」の台本作者として付き合うことになりです。これを見ていた

当方の同年代はけっこう多いはずでありまして、この本のあとがきに別役さんは、

「私は童話というものを、特に子どもたちのものであるとは思っていないのだが、

にもかかわらずそこで、かなり注意深い作業を強いられることになったのは事実

である。」と書いています。

 この番組のために書いた作品は、このほかにも収録されていて、その代表的な

作品は教科書にものったようであります。

 「おはなしこんにちは」の語り手でありました田島令子さんとあわせて、別役作

品は、思わぬところでフアンが多いのでありますね。