来週は三月か

 本日に戻りましたら「ちくま」3月号が届いていました。「ちくま」はほぼ25日

に届いていますので、今月も律儀に刊行されています。

いつもの月でありましたら、25日といえば、今月もあとすこしだなと思うのです

が、二月はもう何日もないやという感じであります。うるう年でなければ、週末に

は三月か。

 「ちくま」では巻末の広告をチェックでありますが、三月にでるものでこれを

買いましょうと思うものは見当たらずであります。なにか見落としてはいないか

と二度見となりました。

 今月ぱらぱらとページを見て、気づくのは他のPR誌よりも女性の書き手が

多いことでしょうか。現在の書き手の勢いを考えると、これは当然のようにも

思います。

 表紙裏は、小林エリカさんによる「彼女たちの戦争」の三回目で、タイトルは

「エミリー・ディビソンの葬列を組む女たち」であります。

 もちろんエミリー・ディビソンの名前を見ても、何も知るところがありませんで

した。検索をかけてみたら、この方は有名な方で、ウィキには「イギリスで参政権

を求めて戦ったサフラジェット」とありました。「サフラジェット」なんて言葉が英

国にあるというのも初めて知ることです。亡くなったのは1913年6月8日で、

その亡くなり方の劇的なことも含めて伝説的な存在になったのはわかるように

思います。

 1913年6月といえば第一世界大戦はまだ始まっていなくて、世界のどこでも

女性参政権は認められていませんでした。その壁を打ち破ろうとした女性たち

のリーダーさんがエミリー・ディビソンさんとなります。

 多くの人が見るなかで自ら選び取った死に至る行為をするのですが、それか

ら数日して女性たちが彼女の悼んで葬列に参加したといいます。

英国ではこれから5年後に参政権を手にすることになったとのことです。(この

時点ではまだ男女で差があったようですが)

 小林さんは、日本ではどうかという話になっていくのですが、これはもちろん

日本の敗戦によってもたらされたものですから、日本の女性は敗戦によって

多くのものを得たといえますね。敗戦をなかったことにしようという人たちは、

こうした女性の地位向上も面白くないのでありましょう。

 小林さんは、こうしてやっとの思いで参政権を得たのに、最近はこんなに投票

率が低いのはと記しています。

「よくよく考えてみると、日本の私の祖母にも三十歳近くなるまで参政権なんて

ものはなかったのっだ。作家のヴァージニア・ウルフにだって三十六歳になるま

参政権がなかったわけで、それどころか恐ろしいのは、フランスのマリ・キュリー

にはノーベル賞を二度受賞しようとも死ぬまで参政権がなかった、ってこと。」

 日本の女性たちが参政権を与えられた頃に、少女であった矢川澄子さん、

多田智満子さん、高橋たか子さん、矢島翠さんなどのことを思ってしまうことで

あります。女性たちの上にのっているものの重さであります。

マダム・キュリーと朝食を (集英社文庫)

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