小林信彦さんの「生還」を読みついでいます。本文は、大きな文字で
ゆったりと組まれていて、193ページでありますから、あっという間に読んで
しまいそうですが、ここには、当方がいまだ経験したことのない病気のことが
書かれていますので、ゆっくりとはんすうしながら読むことといたしましょう。
小林さんは、気難しい人でありますので、長期の入院生活のなかで医療
スタッフや他の入院患者との折り合いをどのようにつけているのかと心配に
なりました。これまでの当方の経験で、ランチなどをするお仲間が多く持つ
高齢の女性は病を得て、施設での生活となっても、問題なく日々の暮らしを
送ることができるのですが、プライドの高い女性とか、インテリの男性などは、
そうした施設でも、なかなか人の輪のなかに入り込むことができないので
ありますね。
小林さんなども、そんな感じをうけませんでしょうか。本日に読んでいたとこ
ろには、次のように書かれていました。入院していたリハビリ病院でのことに
なります。
「 おまつり、行事、などというものも無視できない。
私は<おまつり>めいたことを無視する人間だが、リハビリ病院においては
<孤立した>態度が好まれないこともある。ある時からそういうことを感じる
ようになった。
H病院で夏まつりがあり、『ご家族といっしょに参加して下さい』と言われて
いた。・・・
二階にで店がでるので、そこへ行き、一合のビールをもらい、センベイを食べ
た。家族たちは私のそういう場でのふるまいを知らないから、丁度いいと思い、
下町出身の人間らしく太鼓を強めに叩いた。われながら強く叩けるのに驚いた
が、次女は珍しがって写真をとってくれた。・・なんやかやで、<とりすまして
ばかりいるのじゃない人>というイメージを作れたとしたら嬉しい。」
この病院でのレクメニューでは、歌をうたったり、生花をしたりすることもあり、
そうしたものにも参加したとのことです。その生花はお仲間から好評であったと
いうことで、次のように書かれてました。
「心得があるとはいえないまでも、子供のころ叔母がならっていたのは見聞き
していたので、いいかげんに<芸術的風>な活花を試みた。私は<他人と
違う道を行く人>と思われていたから、その活花は思いがけず好評で、他人
の作品に題名をつけることまで頼まれた。」
そんなに無理をすることなしに、ずいぶんとうまく振る舞うことができている
のに驚きです。小林さんが脳梗塞で倒れて、その経験を本にまとめることが
できたのも、こうした周囲にあわせる柔軟性があったからなのでありましょう。
どんなにその昔にえらい人、有名な人であったとしても、そこでは単なる
身体の不自由な高齢者でしかないわけでありますからね。