その昔であれば、やっとこさで小学校の高等科を終えた人たちが楽しん
だというような芸能が、この時代にはひどくわかりにくくなっています。
先日にちょっと話題にした大阪での万才のことでありましても、捨丸・春代の
ものは、客席がどかんどかんと湧いているのに、当方には何が面白いのかと
思ったりであります。捨丸・春代を面白いといっている池内紀さんと当方は
年齢が10歳くらいしか違わないのですが、ずいぶんと感覚が違っていること
であります。
今でも万才は、大変に人気のある芸能ではありますが、捨丸・春代がでてき
ても人気を得ることはできないでありましょう。
歌舞伎も文楽も、その昔は大衆のものでありましたが、いまではちょっと格式
高い古典芸術のようになっています。ほんとはもっと心躍るものなのでしょうが、
ちょっと敷居が高く感じます。
そんなことを思っていたところに、図書館で橋本治さんの次の本が目につき
ました。
この本の冒頭には、説経節「小栗判官」がおかれています。橋本さんがこれを
解説してくれるとしたら、これは読んで見なくてはです。
この本は「芸術新潮」に連載されたものとのことですが、橋本さんの病のため
にまとめられることがなく、亡くなってから一冊となりました。
すでに発表されている文章を一冊にするに協力をした矢内賢二さんが解題で
次のように記しています。
「義太夫節の物語は複雑で難解であると言われることが多い。しかし恐らく戦前
くらいまでの日本人はその物語を十分に咀嚼し共感していたわけで、要は戦後の
現代人がその物語を理解する筋道を見失ったに過ぎない。橋本さんは、その筋道
を現代人の言葉を使って解き明かし取り戻そうとした稀有な人だった。」
ということで、橋本さんが解説する「小栗判官」に入っていくのですが、橋本さん
は「受け手の中に『悲惨な苦労』への共感がなければ受け入れられないのが」
説経節で、「平和になって世間が安定するに従って忘れられて行くような宿命を
持つもの」とあります。
わっからないのはわからないといって「小栗判官」をのぞいてみるのもいいか。