スノッブの本棚

 そういえば、数日前の新聞に批評家ジョージ・スタイナーの訃報がのっていま

した。思ったよりもずっと記事は小さかったのですが、それでものっていただけ

よろしいか。

 若いころからずっとスノッブであります当方の書棚にはスタイナーの本が何冊か

ならんでいます。本日は、久しぶりでスタイナー本を引っ張りだしてきて、開いてみ

ることになりです。

 スタイナーといえば、由良君美さんでありまして、学生のころの「ユリイカ」かなに

かで、山口昌男さん、由良君美さんなどが言及しているのを見て、「言語と沈黙」

とか「脱領域の知性」を購入したのですね。

言語と沈黙―言語・文学・非人間的なるものについて

言語と沈黙―言語・文学・非人間的なるものについて

 

 なんとなくあの時代、読まなくても持っていなくてはという気分になったものです。

そのほかで購入したのは「自伝」ですが、これは読むのが大変で、途中で中断した

ままであります。

 ちょうど当方が就職をした1974年4月にスタイナーさんは来日して、講演とか対

談を残すことになるのですが、そのなかで加藤周一さんと行った対談は、その後

「世界」に掲載され、当時大きな(?)話題になりましたです。

 ちょうど「世界」のその場所だけは、切り取って保存してあったこともあり、それも

とりだしてきて読んでみることにしました。

「西欧・社会主義・文化ー『先進文明』の希望をたずねて」という対談になりますが、

はじめからこれが不穏な調子で、話が噛み合わずであります。このコーディネーター

由良君美さんでありましたが、二人が大声をだして収拾がつかなくなりそうなこと

が何度もありです。

 対談にはたとえば、つぎのような記載がありです。

 [ 同時に激しく言い合いになり、ほとんど、聴取不能 ]

 こんなことが挟まれる対談は、そうそうあるものではありませんから、これが雑誌に

掲載にこぎつけるまでに、由良さんは相当にたいへんであったろうと思います。

 なにがどうして、このようなことになったのかでありますが、スタイナーさんは加藤

さんを甘くみて、加藤さんはスタイナーさんに忖度することなく、弱点をついたからなの

でしょうかね。

 対談は雑誌掲載のときに半分くらいに圧縮したとあります。掲載は20ページほどで

ありますので、そのほかのところではどのような話がされていたものかと思います。

対談の終わりのところで、スタイナーさんは次のように言って、加藤さんをたたえていま

す。

「結論的な挨拶を言わせて頂ければ、イギリスにおいても、知的関心の範囲の広さに

おいて加藤さんのような御方を知りません。日本にくるまで、このような頭の広い方に

あわなかったということこそ、今日の逆説である、というべきでしょうか。」

 この対談についてまたはスタイナーさんに関して、加藤周一さんは、このあとにどの

ようなことを書いていたろうか(または書いていないか)ですね。