気分をかえて

  読めるかどうかわからない小説を図書館から借りてページを開くことに

なりです。前回に借りていた阿部和重さんの小説は、ほとんど読むことができ

ずに返却となりました。気持ちに余裕がなくては、そんなに難しいことのない

小説でさえも読むことができないということですか。

 それを返却して借りだしたのは、島田雅彦さんの次の作品。

君が異端だった頃

君が異端だった頃

 

  島田さんは1961年生まれとありますので、まだかろうじて50代でありますか。

比較的若くにデビューしたこともあって、すでに長老の部類でしょうか。当方よりも

10歳くらいも年下でありまして、これまで何度か作品を読んでみようと思ったので

すが、ほとんど読めずでありまして、小説作品も数作保有するのみです。

 ちょうどこのくらいの年齢の作家からは、当方がなじんだ父親世代の作家と

くらべると文学世界の雰囲気が違って(当たり前のことでありますが)、それが

ためになんとなく読んでも作品世界に引き込まれないという感じでありました。

 父親世代の作家は、とうに姿を消しているわけですから、当方と同世代から下

の作家さんをフォローしなくてはということで、今回話題となっている島田雅彦

さんの作品を読んで見ることにしたものです。

 この本の帯には、「最後の文士・島田雅彦による自伝的青春私小説」とありま

した。これを見て、初めて島田さんが文士といわれていることを知りました。

よく言われることですが、「最後の文士」と呼ばれた最初の人ですなんてことが

ありますが、「最後の文士」と呼ばれた最後の人になるのはどなたになるので

しょう。当方にすれば、文士が大学に所属していてはいけないでしょう。

 それはさて、この作品は帯に自伝的私小説とありますから、作中で「君「」と

なっていますのは、作者が投影されているのでしょう。島田さんは「君は私で、

私が君だ」とも書いているのですが、だからといって昔風の私小説と思って

読んだら、落とし穴にはまりそうであります。

 ということで、すこし心しながら読み進むことになりますが、次のようなところが

面白いなと思いました。

「学校見学の日のことを君はよく覚えている。願書一式の入った封筒を持って、

南武線とその支線の浜川崎線、通称浜線を乗り継ぎ、まだ足を踏み入れたこと

のない川崎南部の工業地帯へと向かった。浜線は一時間に二本くらいしかなく、

しかも二両編成で、川高と日本鋼管に通うための電車といってよかった。尻出

から二つ目の川崎新町で降り、三、四分も歩けば、校舎が見える。」

 主人公が高校受験の願書を持参して県立川崎高校へとむかったところの

シーンです。主人公の住まいは川崎北部で、そこから南部にある、かっての名門

高校に足を運ぶのですが、試験の結果めでたく高校に入学することになるので

すが、南武線をつかっての通学というのは、なんとも階級上昇を目指さないよう

にも思えるのですが、さて、これはどうでしょう。

 この時代に、「願書一式の入った封筒を持って」高校へと行くなってことは

あったかなと思ったりです。願書は出身中学でとりまとめをして、それぞれの

学校にだすというのが普通でないかと思いますので、この願書一式というのは、

高校に提出するためではなくて、高校見学をしてここが気に入ったら、中学校へ

と提出するということなのでしょうかね。