本日が千秋楽なのは、大相撲の興行でありました。めったにないこと、
ほとんど上位陣が不在という、考えようによっては非常に面白い場所と
なったようです。毎場所が、こんな調子でありましたら、番付とはなんである
かと、それはそれで問題となるのでしょう。
それにしても、最近の幕内には元大関という人がずいぶんといることで
ありまして、その昔は、こんなにも元大関はいなかったよなと思うこと。
最近の相撲取りは体重はめちゃくちゃ多くなっているのに、存在は軽く
なっているよな。
重量感にかけるといのは、小説家の世界も同じであるのかもしれません。
返却日が近くなっている島田雅彦の「君が異端だった頃」を読み継いでおり
ますが、島田さんが異端という系譜を継ぐ作家はどなたなのでありましょう。
「埴谷雄高や大岡昇平の異端性は確実に大江健三郎に受け継がれただろ
う。
『ずっと大江健三郎の時代だった』と筒井康隆は語っているが、確かに学
生時代のデビューから安保闘争時代、全共闘時代、オイルショック前後、実存
主義から構造主義、文化人類学のブームの時も、大江さんはいつも中心にい
て、しかも周縁にはみ出る強い遠心力を保っていた。」
島田さんが「君は異端だった頃」というふうにいっているということは、若い
頃には、この系譜につながるように仕向けられて、自らもそれを心がけたがと
いうふうに思えないこともなしです。
この「私小説」とされるフィクションは、世間から異端の作家と思われていた
中上健次の死をもって時代がとまります。それから30年が経過して、日本の
異端の系譜はどうなっているのかなと思うことで。
この作品のもう一つの読みどころ(?)は、島田さんの女性関係が書かれて
いることでありまして、どこまでが本当か、どこまでがフィクションかであります
が、あちこちにこれのとばっちりを受ける作家さんなどもいて、それも含めて
ゴシップ好きには楽しいことですが、島田雅彦が、小説のなかで書いていたも
のねなんて、言いふらさないほうがいいでしょうね。