発禁本かな

 発禁本ということは、なんらかの外的な強制力が働いて、販売することが

できないということですね。戦前でありましたら、発禁というのは珍しいことでは

ありませんでした。

 昨日の小田光雄さんの本には、次のようにあります。

図書館逍遥

図書館逍遥

 

「現在では忘れさられてしまったが、ポルノグラフティから社会主義文献、小説

に至るまで、それらが絶えず国家の検閲の対象であった。」

 ということで、大日本帝国においては検閲があって、それのために発売禁止

は合法でありました。それを避けるために、伏せ字にしたりしたのでしたね。

戦後には占領軍の厳しい検閲があって、それがために発禁ということが継続

されることになりです。

 この時代とくらべると、最近は出版物が発禁になるというのは、ほとんどない

のではないでしょうか。発禁にする仕組みというのは、出版差し止めの裁判を

起こすか、わいせつ文書として摘発するくらいしかないのではないかな。

 それよりも、そんなものを出したらガソリンをもって殴り込みをかけるからなと

か、そんなことをしたら広告を引き上げるからなという脅しのほうが、法律よりも

効いているかもしれませんです。

 今はむかしでありますが、日本ではヘアヌードというのはご法度でありました。

 小田さんの本からの引用です。

「90年代になって、正規の出版流通システムによりヘアヌード写真集が全盛と

なったが、その起源はビニール本にある。」

 最近の人はビニール本なんて知らないでしょうが、地下出版ぎりぎりのところ

にこの世界はあったのですね。

 数日前から手元においてある宮田昇さんの「小尾俊人の戦後」には次のよ

うなくだりがあります。

「フランスのポンピドゥー・センターでの展覧会を機に発行された写真目録

『写真家マン・レイ』の未製本印刷物が、船便で送られてきたのは昭和57年の

秋である。

 東京税関は、このなかの数葉の写真に女性のヘアが写っていることで、関

税定率法第22条一項三号の『風俗を害すべき物品と認められる』とし、返送

するか、廃棄あるいはスミの塗抹かの選択を迫った。私も権利者側として、

小尾俊人といっしょに東京税関大井出張所に赴いて税関との折衝に当たっ

た。」

 このままでの出版はできませんよといったのは、東京税関であったのですね。

もちろん、スミで消していたら、問題なしということで、そのスミを取り除くため

にはこれが有効なんてことがいわれたのでした。

 これに対して小尾さん(つまりみすず書房)は、裁判に訴えなかったのですが、

東京税関には相当の申し入れをしたとあります。

「だが、税関はいっそう頑なになったと思う。小尾はやむなくスミの塗抹を選択

したが、消去の色の濃さまで言い立てられ、再三印刷しなおした。

 『ヘア』の取り締まりは、日本の官僚システムの譲れぬ最後の砦であったのだ

ろう。」 

 1982(昭和57)年というのは、そういう時代でありました。

小尾俊人の戦後――みすず書房出発の頃