国内「亡命」者 2

 坪内祐三さんの「四百字十一枚」(2007年9月 みすず書房刊)で、話題としている
「国内『亡命』者の遺した珠玉の雑文集」というのは、萩原延壽さんの「自由の精神」
のことです。

自由の精神

自由の精神

 萩原さんは、丸山真男門下というつながりでみすず書房と関わりが深かったようで
あります。このあたりについては、みすずの編集責任者を長くつとめられた小尾俊人
さんの次の著書にでてきます。
昨日と明日の間―編集者のノートから

昨日と明日の間―編集者のノートから

「1958年暮から萩原さんはイギリスに渡り、翌59年夏からオクスフォード大学
(セント・アントニーズ・カレッヂ)で、アイザィア・バーリン
Central Concepts of Historyセミナーに参加した。
 バーリンは哲学者、歴史家として著名な教授だった。・・・萩原さんは彼と会った
感激の日の記憶をノートに記している。・・・
 1962年7月、丸山真男先生はオクスフォードに滞在されていたが、そのころ留学生
だった萩原さんは貧乏だった。当時は当たり前のことだった。萩原さんが、その時、
まだ未見だった丸山先生から借金をした、という噂があった。おそらく先生から敢えて
の借金は彼一人だったろうとのこと、しかし、これを私は両人にたしかめたわけでは
ない。
 とにかく、この頃から、丸山・萩原・バーリンの関係にきわめて親和力がつよく働い
たことはたしかである。」
 丸山真男さんといえば、その時代には別格のインテリという存在でありました。
いまほど検索をしてみて、今年は丸山真男さんの生誕百年で、亡くなったのは8月15日
でありました。まるで偶然ではありますが、これもお盆のなせるわざでありましょうか。
 丸山真男さんの著作は、当方にとってほとんど猫に小判でありますが、当方が手にし
た数少ない一冊に、次のものがありです。
戦中と戦後の間

戦中と戦後の間

 小尾俊人さんの著作のタイトルは、これと似ていますが、それもそのはずで、丸山さ
んのこの本の編集者は、小尾さんでありました。
小尾さんが、この本について著者である丸山さんとのやりとりのメモを著書で公開して
います。
 「1974年1月のメモから。」に次のようにあります。
「 先生は言われる 前に組版した戦前の論文集を、あのまま現在出版することは、どう
かと思う。萩原延壽君の『読書周游』(ママ)のようなものを、雑誌『みすず』に連載
した上で、それをまとめて、一緒に単行本とするのはどうだろうか。」
 このような提案を受けて、紆余曲折してから刊行されたのが「戦中と戦後の間」とな
るのですが、これを編集する過程で、丸山さんの口から「萩原延壽君の『読書周游』の
ようなものを」とあるのに注目であります。
 小尾さんが萩原さんについての文章の最後におかれているところの紹介です。
「 私が萩原さんから受けた感動的な表現。
『日本人を考えるうえで、僕にとってイギリスが非常に参考になるのは(中略)
”リトリート”つまり”撤退”とか”後退”の先進国という意味においてです。』」
 「後ろ向きに前に進む」という書名が、これにつながっているのかどうかはわかり
ませんが、坪内さんが取り上げた「福田恒存」さんとも共通した英国流の思考を身に
つけた方たちは、国内において「亡命」者として生きて行くしかなかったのかと思い
ます。