雨なのでお勉強すこし

 気温はまずまず高いのですが、ずっと雨が降っていましたので、肌寒く

感じる一日でした。お天気がよろしければ散歩にいって、あとは紅葉の様子

を見にいくのでしたが。この雨のためにすこし葉っぱが落ちたようで、ちょっと

これは残念なことです。

 雨になったので、すこしお勉強の読書です。先日に図書館で目についた

次のものです。

  戦中から戦後まもなくのところをちょっとのぞいておこうと思ったものですが、

これにはそれに先立つ一冊があって、そこでの分析が引き継がれているので、

当方はいきなり「システムB1」という用語を目にして、面食らうことになりです。

この「システムB1」というのは、「大量生産ー大量消費のもと、人びとの主体性に

基づく動員と統制を図るシステムです。」とありますが、いつの間にか主体的に

関わって後戻りできなくなってしまう仕組みでありますか。

 この「システムB1」というのは1930年以降に作動するとあります。十五年戦争

にはいって行く頃ですね。事変と表現される紛争状態のなかで、戦死者はでてい

ますが、これは国家間の戦争ではないものの、それを重ねるなかで、人々はすこし

でも早くすっきりと開戦してほしいと願ったのですね。どちらにしてもやっている

ことは同じなのですから。

 もちろん、局地的な紛争と全面的な戦争が同じものではないということは、

そのあとで骨身に沁みてわかるのでありますが。

 このようなことが戦時下において行われたのですが、これがために戦時下体

制は素晴らしいなんていう人はいないよな。

「1940年11月に、これまでの産業報国連盟が、大日本産業報告会に改組されま

した。すべての労働組合が解散させられましたが、さらに翌1941年8月には産業

報国回の基本組織を各職場の職制と一致させます。このなかで、職員と労働者

が、ともに同じ企業の従業員であるという意識を持つようになります。」

 戦前の生産現場を支配していたのは、封建的ともいえる身分制度でありまし

て、本社採用の社員と工場の職工は同じ組織の人間とはみなされませんでした。

(これについては、小熊英二さんの「日本社会のしくみ」にありです。)

  非常時における産業報国という立場からは、生産をあげるためにも、こうした

身分制度は障害となりますので、その意味からも打ち破らなくてはいけないので

ありますが、それがために職工さんたちは、一層のこと「主体的」に翼賛体制に

組み込まれていくことになりです。

 そういえば、数年前から日本国においては、労働者の賃金アップはありがたい

政府が経営側に指示をして、それで流れができるようになってしまいました。

若い労働者は組合よりも政府のほうがずっと頼りになるといって、国の政策に

賛成するようになります。最近の池内さんの本の帯にあった言葉ではありません

が、「体制は窮屈だったが、経済は安定していた」でありますか。

 これまでの歴史を見る限り、このつけは若い人たちが負担することになるので

ありまして、年寄りたちはだからいったじゃないかというのか、それとも姿を消して

いるかのどちらかであります。