本日の夜にあった「らららクラシック」というTV番組は作曲家「伊福部昭」を
とりあげていて、ゲストは片山杜秀さんでありました。
片山さんが語っているのを聞いていて、これは早くに「鬼子の歌」に収録されて
いる伊福部さんのところ開いてみることになりです。20ページほどの文章ですか
ら、目を通すのは難しくはありません。そうしてみて、まずは目についたくだりは
次のところでありました。
「とりわけ重要なのは九歳から十二歳まで過ごした音更という土地です。十勝平野
のただなか、帯広のすぐ北方にある開拓村です。父の利三はそのとき音更の村長
に任じられていました。当時の北海道の地方官に課せられた重大な任務のひとつ
は先住民のアイヌを如何に統治するかということです。そのために村長の一家は
アイヌと親しく交際しました。開拓地でもアイヌと大和民族の生活は基本的には分離
していたのですが、伊福部家は例外でした。村長の息子はアイヌ・コタンに出入りし
て、彼らのほとんど原始的とも言える歌や踊りを親しく見聞し、思い入れました。」
伊福部さんが父親に音更で生活をしたのは大正12年くらいでしょうか。明治に
はいってから開拓使は、アイヌの人たちを皇民とするための施策をすすめることにな
ります。狩猟ではなく農業に従事せよとか、子どもは学校へといって日本語を学べと
いうようなことでありますが、そのことが今問われています。
明治が終わって大正に入ってちょっと社会の雰囲気が変わってきた頃であります
ので、ちょっと変わった村長がいても不思議ではないでしょうかね。当時の村長とい
うのは村役場の職員ではなく、上級官庁の官吏が派遣されてくるような形でしたか
ら、音更における伊福部家というのは、どのような感じであったでしょうね。
先月まで朝にやっていたドラマは、帯広周辺が舞台となっているのですが、この
ような伊福部家のことを目にしますと、アイヌの人々が存在しないように描かれて
いるのは、やはり違和感を感じることであります。