なんとか週末に

 今週の野暮用を終えて、明日から月曜までお休みとなりです。

ちょっとくたびれでありまして、こういうときはねころんで読み進むことの

できる小説本を手にするのが一番でありますが、さて、なにがいいだろうと

思案することです。

 それとも、気になっている池内紀さんの生前最後の著作となった中公新

書「ヒトラーの時代」を読んでみようかしらん。

  この本については、刊行直後に池内さんの記述に誤りがあるということで

話題となり、とんでもない本とレッテルを貼られそうになったものです。ちょうど

そのさなかに池内さんは亡くなったのですが、この焚書されそうになったものを

火中から拾い上げて評価しようとしたのが、新潮「波」10月号における川本三郎

さんであります。

 川本さんは、「『ヒトラーの時代』に込められたもの」というエッセイのなかで、

川本さんが毎日新聞書評欄のために書いた、この本への評(結局は紙面には

掲載とならなかった)を収録しています。

  書評の前におかれた川本さんの文章からの引用です。

「『ヒトラーの時代』を思い切って書いた池内さんの執筆のモチーフには、近年の

日本の非寛容な時代状況への危機感があったと思う。・・・少年時代、戦後民主主

義の明るい空気を吸って育った世代として、ネット社会になって、匿名で人を攻撃

したり、相手への敬意なしに自分の狭い知識をひけらかす若い知識人が増えた

ことには、正直、うんざりしていたことだろう。」

 このくだりは、池内さんに寄せていますが、川本さんも同じ思いなのでありましょ

う。ほんとうにどうしてこんなことになってしまったのだろうと思うのは、当方も同じ

であります。

 ほんの十数年前までは、まったく相手にもされなかったような泡沫 著述家が

権力者の庇護をうけて、なにやら権威者になったりするのですから、ほんとおそろし

いことです。まあ、そういうことは右にも左にもあることですが、今の日本では特に

右の人たちに対してですね。

 次も川本さんの文章からの引用です。

「率直にいって、いま『品のない言論』が増大した。平気で他社を悪罵、罵倒する。

書き手の『痛み』を理解せずに瑣末な間違いをあげつらう。説得ある批判とは、

他社への敬意、その人がどういう優れた仕事をしてきたかへの知識があって

はじめて成り立つのに、それがない。

 『ヒトラーの時代』とは、実は『私たちの時代』ではないかという危機感があった

と思う。」

 川本さんはこういうのですが、すぐさま「ヒトラーの時代」なにが悪いとか、それ

じゃ「瑣末な間違いをあげつらった」反百田の輩はどうなのかというのがとんで

きそうであります。

 しかし、こういうのが同じ土俵で論じられるということが問題なのでありますね。