9月に入ってから喪服を着る機会が増えています。
1日は告別式で、3日はお通夜でありました。明日は友引でありますので葬儀
は入らないはずですが、明日から二日連続でお通夜の知らせが届きまして、
これじゃ9月はほとんど毎日というような感じではないか。ちょっと不義理をしな
くてはいけませんね。
ひどくゆっくりとしたペースで中村稔さんの「私の昭和史 戦後篇」を読んで
います。昭和21年夏には弘前から水戸へと父上は転勤したので、学校が夏休み
となっての帰省先は水戸となったとのことです。21年に水戸へと帰省した時の
話となります。
「私は日々の時間をもてあましていた。ある日、大洗を訪ねた。大洗磯前神社か
ら太平洋を俯瞰する眺望は一見に値すると思ったものの、そう感銘をうけたわけ
ではない。神社の裏山は松林であった。私はその松林を行きつ戻りつ歩きまわっ
た。ふと、ささやかな洋館があるのに気付いた。扉をあけて内部に入ると、美術館
であった。油彩が十点ほど掲げられていた。私の眼はその中の一点にひきこまれ
るように釘付けになった。中村彝のエロシェンコ像であった。生の極北に追いつめ
られたような悲しげな表情に、私は激しく魂を揺さぶられるように感じた。
美術館を出ると松林の間の地面に盛夏の日差しが落ちていた。梢を潮風が渡っ
た。かけがえのない生のいとおしさに私の心は満たされていた。」
ながながと引用したのは、今は竹橋の国立近代美術館に収蔵されている中村
彝の傑作が、以前は大洗の洋館を利用した美術館にあったということを知ったから
でありますね。中村稔さんは、それがどのような名称の施設であったのかは、今の
ところ皆目わからないのですが(ちょっと検索してもたどりつくことができません
でした。)、エロシェンコ像は、どのような方が持っていて、どのような経過を経て
国立近代に収蔵されることになったのか、興味深々であります。
(国立に寄贈したのは、埼玉の豪商 大里一太郎さんだそうです。詳しいことは
わかりませんが、このほかにも藤島武二などの作品も所有していたとのことです
が、それらも大洗には展示されていたのかな。ちなみに所有していた藤島武二
作品は、1967年以降美術展に出品されることがないのだそうです。)
ほんと興味深いことであり。