来客のお相手で、本を読むこともままならずでありますが、昨日に届いた中村
稔さんの「回想の伊達得夫」は、期待通りのものであります。
ほんとにまだ最初の数ページしか読んでいないのですが、中村さんは著作権法
などを得意分野とする弁護士さんでありまして、詩人というだけではなく、法律家と
しての立場からも話をすすめています。
まずは「ユリイカ」創業の出版物となった「二十歳のエチュード」についての文章
からであります。「二十歳のエチュード」は伊達さんが小さな出版社に勤務していた
ときに手がけたものでありまして、最初の版は、その出版社からでています。ここが
立ちゆかなくなったことで、伊達さんは「書肆ユリイカ」を起こし、その一作目として
「二十歳のエチュード」を刊行することになりです。
それに関して、原口統三が亡くなってから「二十歳のエチュード」の原稿を管理し
ていた橋本一明へと批判の目が向けられます。(橋本一明さんは、原口の後輩で
「二十歳のエチュード」の刊行に力があったことで有名です。フランス文学者で、早く
に亡くなり「純粋精神の系譜」という著作があります。)
「 私は橋本一明の生前、かなり親しかったし、彼の葬儀にさいしては弔辞を読んだ
憶えもある。そんな関係にあった故人を死後に鞭打つような批判をするのは気が進ま
ないけれど、この跋文をはじめて読んで私はその支離滅裂、不得要領な論理に唖然
としている。前田出版社との紛争については後に記すこととし、著作権の帰属に私は
関心をもっている。」
前田出版社から最初の「二十歳のエチュード」がでたのは、昭和22(1947)年の
ことですから、すでに70年も前のことになります。そのとき中村さんは二十歳でありま
して、中村さんが92歳となって、これは書いておかなくてはという思いがよく伝わっ
てくる文章であると思います。
橋本一明さんのことを、ちょっといやなやつと思うようになるかもしれませんが。