新聞を見ていたら

 外出先で新聞を見ておりましたら、自宅で購読しているものと違った広告

とか記事の掲載があって、いくつかの新聞を合わせて読むことが必要であ

るなと思うことです。

 購読している新聞には決してのることのない「月間はなだ」という雑誌の

広告などもありますからね。こうした基調の雑誌が、いくつか生き残っている

というのが、当方にはよく理解できないのですが、その昔でありましたら新左

翼系の雑誌がいくつかありましたから、それから半世紀たって、反転したと

いうことでしょうか。

 これがネットのニュースサイトなどをみましたら、N国とかホワイト国とかいう

見出しが踊っていて、これはイスラム国の仲間かなにかなのかなと思って

仕舞います。何年かあとになって、N国とかいう国は存在しているのだろうか。

 出先でみた新聞で、本日に目をひいたのは、佐高信さんの文章であります。

タイトルは「『対話する哲学者』久野収没後20年」というものでした。

 最近は、佐高さんのものを手にすることはなくなっていますが、当方が佐高

さんに関心を持ったのは、佐高さんが有名な久野収講座の贋学生であったか

らですね。久野収さんの学習院大学での講義に熱心に連なっている人がいた

というのは聞いていたのですが、それが若き日の佐高さんで、そのことがわかっ

たのは、たしか島津書房からでていた「斬人斬書」を手にしたことによってで

ありましょう。(この「斬人斬書」が佐高さんウィキの著作一覧にないのは解せ

ないこと)

  ということで、本日に目にした佐高さんの文章のさわりを引用です。

「ちょうど20年前(1999年)に88歳で亡くなったわが師、久野収は最期まで

現役で『腹が立ってボケられん』と言っていた。

 問答無用の強権政治は当時よりもさらに深刻化しているが、久野はあくま

でも”問答有用の対話を求め、たとえば立場の違う中曽根康弘と議論すること

も厭わなかった。」

 当方も若い頃から久野収さんを導きの星の一つと思っておりまして、昨日に

話題にしたH.M.エンツェンスベルガーの「政治と犯罪」にしても、久野収さんの

おすすめで読んだのでありました。

 佐高さんが「ちょうど20年前に亡くなった」と記しているので、そうか祥月命

日であるのかと思いましたら、亡くなったのは2月とのこと。ちょうど20年前と

いう記述は、当方のなかでは微妙な響きであります。 

面々授受―市民・久野収の生き方

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久野収セレクション (岩波現代文庫)

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