忘れていることだ

 先日に立ち寄ったブックオフ橋本治さんの本を購入です。

橋本さんの本を、追いかけていなかったので、このような本がでている

ことは知りませんでした。

明日は昨日の風が吹く

明日は昨日の風が吹く

 

  この本のタイトルは、もちろんその昔の映画「明日は明日の風が吹く」の

もじりでありますね。石原裕次郎の映画であったと思いますが、橋本さんの

書名を見て、昔の映画を思い出す人は少なくなっているでしょうね。

(というか、昔の映画のことを知っている年格好の人しか橋本さんの本を読

むことはないか。)

 「明日は昨日の風が吹く」でありますので、これは歴史は繰り返すとか、

陽の下に新しきことなしと似たような意味になるのでしょうか。たとえば、

橋本さんが2004年に書いている「年金問題が分からない」とものから引用

してみましょう。

「世の中で『大問題』になっていることであろうことの中で、私にわからないの

は『年金問題』である。・・じきに五十六歳になるのだが、相変わらず『年金問

題』が分からない。

 おぼろげながら思うことは、それが『破綻した』という状態に至るまで、国民

にかなりのダメージを与え続けるのだろうな、ということだけである。

今までの日本の『破綻した』という事態は、すべてが『将来大変なことになる

可能性を孕んでいる』の未来先送り型だったが、そろそろ状況は『未来』と

いうところに足を踏み込んでいるのではないかと思う。」

 この文章は、「広告批評」2004年4月号に掲載のものでありますから15年

前のもの。このあとにいろいろと方策を講じたことによって、年金制度は大丈夫

といったのもつかの間、制度は大丈夫でも、これで国民の生活を守ることは

できないということが明らかになってきていますが、国民の生活を守ることが

出来ない制度とは、破綻しているというのとどう違うのか、それは当方にも

わからないことで。

 2007年には、次のような文章がありです。

「私が『安倍晋三には関心がない』と言うのは、あまりにも言うことが空々しく

て、しかもきっぱり断定してしまっているからだ。断定が先で、先に断定されて

しまっているから、その後の『説明』が続かない。

 『説明』は形式的で、『初めに結論が出されて断定されている以上、説明

などという瑣末なことはどうでもいい』という前提に立っているとしか考えら

れない。

 『説明』抜きで、当人の中では『結論の断定』が成り立っている。である

以上、『断定の後の説明』は、あってもなくてもいい。だから、『説明にならない

説明』が罷り通っている。」

 この翌月には、「安倍晋三って、もっと簡単に一言で言えちゃうような人なん

じゃないかな」ということで書いているのですが、「この人が最初に出て来た

時から、私はある二文字を思っていた。(それは、あなたの思うハ行の濁音で

始まる二文字です)しかしいくらなんでも日本を代表する総理大臣を、なんの

根拠もなくそんな二文字ではくくれないしなあ」と続きます。

 ハ行の濁音で始まる二文字か。