ガンコと難解

 橋本治さんは、1985年に「小林信彦はどうして難解か」という文章を書いて

いるのですが、これを北村薫さんが「波」7月号で取り上げているというのが

話の発端です。

 85年の「小林信彦さんの難解さ」というのは、それから36年も経ちましたら

さらにでありますね。橋本さんがいうところの「小林さんの難解さ」というのは、

次のようなところだそうです。

小林信彦氏ほど、読むに際して膨大な教養を必要とする作家はいない筈である。

そしてその膨大さが並のものではないというのは、この人が、その膨大な教養を、

一人で作ってしまったからである。・・・

 小林信彦氏の中で、そういうことは膨大に存在するのである。そして膨大に存

在するそういうことは、どれもこれも、この日本という国の中では既知のことな

のである。かってそういうものは存在していて、そういうものは重要だったから、

教養となりえてしまうのである。・・・

 何故か、日本人作家の小林信彦氏は、日本人読者を、必ず微妙なところで外人

にしてしまうのである。小林信彦が難解だというのはそういうところだ」

 小林信彦さんが、これくらいは知っていてほしいなと思うことを、基礎に据え

てコラムを書いているとしましたら、その思いと現実の読者の間の教養の差は

拡大するばかりでありまして、ますます難解になっているのでしょうね。

 この橋本さんのコラムを受けて、1991年9月の「週刊文春」のコラム「読書

日記」で、小林信彦さんは「橋本治の仕事」というのを書くことになります。

  そのコラムは、「本は寝ころんで」に収録されています。