いまの80、これからの80

 津野海太郎さんの本「最後の読書」をながめています。昨年に刊行された

ものですが、この時津野さんは80歳となっていました。その昔とくらべると最近

の80代は、気持ちは若いことでありますよね。

「年をとるに従って、ものの本質が見えてくるなどと、よくものの本に書いてあった

りするが、このごろの私は、医者から老人性白内障だと宣告され、あたりのものが、

ぼっとぼやけて見えてきて、たいへん鬱とうしい。・・・

 これまで、この年齢にしてまだ文庫本も、ホレこのとおり、すらすら読めますなど

と、人前で自慢たらしく披露したりした罰が、いまごろ、てきめんにあたったのかも

知れぬ。」

 上に引用したのは、天野忠さん「木洩れ日拾い」に収録の「雨降り」という文章

からです。この本は天野さん79歳の時に刊行ですが、文章が書かれたのは、70

歳を超えたころのことのようです。もっと他のところでは、天野さんは、さかんに年

をとったことを強調しているのですが、ここでは、最近まで文庫本も読めていたぞ

と書いています。昭和の終わりの80歳は、こんな感じでありましたか。

 平成の終わりに80歳となる津野さんは、自らの体験をどのように書いているか

であります。

「この数年間で落ち目のいきおいが本格化し、そのため日々の読書にさまざなな

不都合が群れをなして押し寄せている。・・

 近年、むかしの岩波文庫新潮文庫のような、小さな活字をぎっしり詰め込ん

だ本がうまく読めなくなった。創元推理文庫やハヤカワ・ミステリ文庫の古いもの

もおなじ。・・どれも活字が小さすぎて読めない。まったく読めないわけではない

けれども、むりして読んでいるという不快感がつきまとう。それがしんどい。」

 30年の時を経て、本を読むということに関しては、天野さんと津野さんの書くと

ころにあまり大きな違いはなさそうであります。

 あと十数年で令和の80代となる当方にとっても、参考になる話であります。

単行本と文庫本のどちらも持っているものは、即刻単行本を処分したほうが、

省スペースになるなと思っておりましたが、その時には文庫本は代替にならない

かです。

 年をとってくると、小さな活字をページにぎちぎちに詰めこんだ本を手にする

ことが難しくなるとのことで、そのうち退職して時間の余裕ができれば読んでや

りましょうと思っていた本を読む力がなくなっているのにがくぜんとすると書かれ

ていて、そうした本として、自分が担当した「長谷川四郎全集」をあげています。

 「長谷川四郎全集」を読むとすれば70代前半までにやっておかなくてはダメ

ということで、これは時間がなくなってきたぞ。  

長谷川四郎全集〈第1巻〉 (1976年)
 
最後の読書

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