当然のことながら

 当然のことながら、今年のこの連休が例年にもまして大型となっているには、

わけがありまして、仕事をやすませてあげるので、ぐちゃぐちゃいわんとだまって

お祝いをするようにであります。

 これまたスポンサーの意向は絶対の放送各社は、ほとんどその関係の番組

ばかりでありまして、昭和から平成の時にはレンタルビデオ屋が大賑わいと

なったのですが、今回は動画サイトなどを見ている人が多いのでありましょう。

 10連休と大騒ぎしても、そんなに休むことができている人は、働いていいる

人の一部でありまして、普段と変わらずに仕事をしている人は多いと思われま

す。

 そういえば、先日に版元に注文していた本が、連休に入ってから届いたので

ありますが、同封の郵便振替で速やかに送金したいと思うものの、郵便局の

送金サービスは、この連休中止まるようであります。たぶん、小さな版元は連休

などは無関係に仕事をしていると思いますので、お気の毒なことであります。

 ということで、先日に編集工房ノアに注文をいれていたのは、大谷晃一さん

の「人の居る風景」ともう一冊でありました。

 文庫本にもなっている「大阪学」などで知られる大谷さんですが、2014年に

亡くなるまで大阪で活動を続けていました。「人の居る風景」は、大谷さんが

出会ったり、私淑する関西にゆかりの文人についての一冊です。(大谷さんを

紹介するウィキペディアには、この本が落ちています。)

 この本には、大谷さんがやってらした同人誌「苜蓿」について書いた文章が

ありました。

「夏の始め、足立巻一さんが日本エッセイスト・クラブ賞を受けられた。一夕、

その祝意のために庄野英二さんと私が、足立さんと食事をともにした。

二人とも以前に同じ賞をもらっていた。当然ながら、話は文学のことに終始し

た。

 事はその仕舞い方におこった。不意のことであった。この三人で同人雑誌を

出しませんか、と庄野さんが言われたのである。一瞬、私は応答をためらった。」

 1983年1月「苜蓿」に発表のものです。この発表誌が三人ではじめた同人誌

となります。大谷さんは、この時60歳くらいです。新聞社をやめて、帝塚山学院

の教授となっていました。足立さんは70歳になるところ、庄野さんは68歳くら

いになります。 

 結局は、お二人の先輩の意気込みに圧倒されて、同人誌を行うことになるの

ですが、このほとんど目にすることのない漢字は、「もくしゅく」というのだそうで

す。

「9月になって、庄野さんから提案があった。氏名は苜蓿がどうか、といわれる。

クロバーのことである。三つの葉が一つの柄につく。足立さんも私もすぐに賛成

した。表紙の絵も題字も、庄野さんがいち早く描かれた。」

 庄野英二さん、大谷さん、足立さんといえば、三人とも関西学院で学んだ人

でありまして、この三人は帝塚山学院関西学院の近さを感じさせるものであ

ります。

 当方が新刊で入手した編集工房ノア「人の居る風景」は、1989年5月25日

のものでありまして、89年といえば、平成の御代になった年。なんと30年も

新刊として版元に眠っていたか。それにしても、この本は、関西の文学に興味

ある人にはおすすめと思いますが。

 この本のアマゾンへのリンクがはれないので、大谷さんの代表作にリンクす

ることにしましょう。

大阪学 (新潮文庫)

大阪学 (新潮文庫)