収穫多し

 年が変わるというとお正月よりも4月のほうが、実感として強く感じる

ように思います。ほとんどの会社は新年度のスタートでありますし、本日に

入学式をする大学も多くあるようですから。そんな4月1日ですが、本日は

元号が発表されたとのことで、なおのこと、いつもと違った感を演出して

いました。発表の時間には、ひさしぶりの散歩にでかけておりまして、戻っ

てからネットで知ることになりです。

 前回の元号発表は、天皇が亡くなって服喪の時であったので、淡々と

した記者発表でありましたが(あの時の、額をかかげた官房大臣の写真、

映像が、こんなに長く使われるとは思わなかったことで、あの時の総理の

名前は忘れていても、あの官房大臣の顔は記憶に残っています。)、今回

生前退位ということもあり、ちょっとうるさい報道になるかなであります。

 ちょうどTVのほとんどのチャンネルがその報道一色になったころ、ポスト

にどさっと郵便が届きました。先日に編集工房ノアさんの「海鳴り」が刊行

されたとありましたので、これは「海鳴り」到着だなと、喜んで受け取りに

いくことになりです。

 本日は大収穫でありまして、ほかに「みすず」「波」「一冊の本」が一緒に

届きました。これはうれしいので、本日の新聞(夕刊)と一緒にパチリです。

f:id:vzf12576:20190401194232j:plain

 早速に「海鳴り」31号を手にして、なかを見ることになりです。

 「海鳴り」でまず読んだのは、山田稔さんの文章で、つぎに柄澤さんで、

あとは多田謡子(著者は多田謠子さんと表記しています。謠は謡の旧字

とありました。)さんについてのもの。

 この時間に読んでいたのは、「大阪 豊崎」という大井浩一さんの文章

です。

豊崎という地名は、遠く飛鳥時代にあった難波長柄豊崎宮に由来するも

のらしい。この歴史上僅かな期間しか置かれなかった都の名称は、新聞販

売業を辞め、やがて高校の歴史教師になった父に幼い頃からたびたび聞か

されていた。」

 「難波宮」へは、大阪の宿から歩いていけるところにあって、後藤明生さん

の旧居を訪ねて、あのあたりをうろうろとしたのですが、「難波宮」が「難波

長柄豊崎宮」というのが正式名称であるというのを、この文章で知りました。