年が変わるというとお正月よりも4月のほうが、実感として強く感じる
ように思います。ほとんどの会社は新年度のスタートでありますし、本日に
入学式をする大学も多くあるようですから。そんな4月1日ですが、本日は
新元号が発表されたとのことで、なおのこと、いつもと違った感を演出して
いました。発表の時間には、ひさしぶりの散歩にでかけておりまして、戻っ
てからネットで知ることになりです。
前回の元号発表は、天皇が亡くなって服喪の時であったので、淡々と
した記者発表でありましたが(あの時の、額をかかげた官房大臣の写真、
映像が、こんなに長く使われるとは思わなかったことで、あの時の総理の
名前は忘れていても、あの官房大臣の顔は記憶に残っています。)、今回
は生前退位ということもあり、ちょっとうるさい報道になるかなであります。
ちょうどTVのほとんどのチャンネルがその報道一色になったころ、ポスト
にどさっと郵便が届きました。先日に編集工房ノアさんの「海鳴り」が刊行
されたとありましたので、これは「海鳴り」到着だなと、喜んで受け取りに
いくことになりです。
本日は大収穫でありまして、ほかに「みすず」「波」「一冊の本」が一緒に
届きました。これはうれしいので、本日の新聞(夕刊)と一緒にパチリです。
早速に「海鳴り」31号を手にして、なかを見ることになりです。
「海鳴り」でまず読んだのは、山田稔さんの文章で、つぎに柄澤さんで、
あとは多田謡子(著者は多田謠子さんと表記しています。謠は謡の旧字
とありました。)さんについてのもの。
この時間に読んでいたのは、「大阪 豊崎」という大井浩一さんの文章
です。
「豊崎という地名は、遠く飛鳥時代にあった難波長柄豊崎宮に由来するも
のらしい。この歴史上僅かな期間しか置かれなかった都の名称は、新聞販
売業を辞め、やがて高校の歴史教師になった父に幼い頃からたびたび聞か
されていた。」
「難波宮」へは、大阪の宿から歩いていけるところにあって、後藤明生さん
の旧居を訪ねて、あのあたりをうろうろとしたのですが、「難波宮」が「難波
長柄豊崎宮」というのが正式名称であるというのを、この文章で知りました。