照応することで

 図書館から借りた鈴木一誌さんの「ページと力」のページをぱらぱらめくって

いたら、金井美恵子さんの名前がでてきて、金井さんの「重箱のすみ」を見たら

こちらには鈴木一誌さんの名前がでてきました。このお二人は信頼関係にある

ということがわかりました。 

 このお二人が「ページと力」と「重箱のすみ」で、ともに触れているのは、中上

健次の手書き原稿についてでありました。当方は中上健次初心者でありますか

らして、中上がこのような原稿を残していたとは知りませんでした。

 鈴木さんの本には、中上の原稿が写真で掲載されているのですが、この原稿

について鈴木さんは、次のように表現しています。

「一枚の原稿は、単行本のほぼ四ページ分に相当する文字量をふくんでいる。

上の原稿から立ちのぼってくるのは、多くの決断と同時に捨てられた無数の

選択肢が堆積した不安の迫力である。消され、追加される。ことばを、かたはし

から自分と読者のあいだに繋ぎとめておこうとしているかのようだ。」

 これを受けてではありませんが、金井美恵子さんは「『 』と「 」」という文章

に次のように書いています。

「書かれた文章が印刷される、ということはどういうことなのか。かねてから、中上

健次の生原稿とそれが雑誌や単行本に印刷された時の行かえの差異が気になっ

てしかたがなかった。

 中上氏の生前から、氏の生原稿というのは伝説的存在で、ワープロを使わない

小説家が伝統的に採用してきた四百字詰原稿用紙に書かれるのではなく、縦の

罫線の入った用紙をびっしりと行かえもなく独特の角ばって平たい字体で埋めつ

くしている。」

 金井さんの文章を引用するのは、難しいことであります。どこまでも引用しなくて

はいけなくなります。このあとに死後に週刊誌で中上原稿を見てひどく感動した

と続きます。

「ひどく感動したのは、そこに書かれていた内容ではなく、びっしりと紙面を埋めつ

くした小さな角ばって平たい文字の意思とでも呼びたい、全体から受けた書法の

迫力のせいだった。けれど、中上健次の原稿は印刷されるとどういうわけなのか、

行かえがちゃんとおこなわれている。」

 中上は、印刷された時の行かえにはあまり頓着せずに編集者にまかせていた

ようでありますが、金井さんであれば、それにこだわらずにはいられないでしょう。

 鈴木さんは、「手稿と組まれた紙面をくらべるてみると別物のようだ。」と記し、

「文庫では、読めさえすればよいという感があり、無残な感じがする。」となります。

 いったいどうすればいいのかということで、鈴木さんは知恵を絞るのであります

ね。

 金井美恵子さんの「柔らかい土をふんで、」という作品の組み方について、鈴木

さんが書いています。

「行中は、意味的な切断によって波立っている。だが、それらの意味的な切断の

つらなりは、行の連続を前提としている。連続があっての切断なのだが、意味的な

切断の波がメカニックな改行にぶつかったときに、ルールが必要になる。意味的

な切断の波は、強弱をともないながら階層間で揺曳しているのだから、どこに

改行の線引きをするかは、メカニックには決められない。組版とは、翻訳なのだ。」

 うーむ難解なことだ。