図書館へと本を返しにいったら、棚のところに辻原登さんの「不意撃ち」が
ありました。辻原さんのものは、買うか借りるかして、このところ欠かさずに読ん
でいまして、前作の「籠の鸚鵡」は買って読みましたが、今回の「不意撃ち」は
いつか読みましょうと思っていたところ、めでたく図書館から借りることができ
ました。
年明けから伝記のようなものを中心に読んでいたことあり、ここらで小説を
読みたいなと思っていたところです。辻原さんは、現役の作家では一番なじみ
のある方で、ほぼ作品は手元にそろっていて、まだ読んでいないものがいくつか
あるものの、未読のものを残しているのは、これからの楽しみのためであります。
さるやんごとなき人の言葉を借りましたら、仕事から解放されましたら、二、三
辻原本が待っていますであります。
今回の「不意撃ち」は短編集で、五作収録されています。短編集のタイトル
は、この五作に共通したテーマであって、収録の作品に「不意撃ち」というもの
はありません。
最初におかれた作品は「渡鹿野」というもので、漢字三文字で、はてどのよう
に読むのかいなと思うのですが、読みが分かってかなで文字入力をすれば、
あらまちゃんと一発で漢字変換するではないですか。ということは、この「渡鹿
野」という文字の連なりから、連想されるものがあるのであるか。
この短編集の帯には、「不意撃ち。それは、運命の悪意か・・」とあります。
運命の悪意に翻弄される人間を描いたものであるようです。運命に善意なんて
ものがあるのかどうかわかりませんが、悪意とあるのですから、ハッピーなお話
ではないですね。
辻原さんの短編小説は、ほんとあちこちに伏線がはられていて、一度読んだ
だけでは、作品の仕掛けが見えてこないのであります。この伏線が効いてくる
と、ひとつの物語が、急に複線の物語となりです。たぶん、「渡鹿野」という作品
もそのはずでありまして、50ページほどですから、何回か読み返して、その都度
気づくことがありそうです。
今月に届いた「みすず」アンケートでも、この短編集をとりあげている人がい
まして、亀山郁夫さんでありましたが、これは辻原さんの「東大ドストエフスキー
講義」のつながりでありましょうか。
いまほど地震があり、震度5ちょっとでありましょうか。けっこう揺れたことです。