図書館から借りて読む

 新刊ででたときに旅先の書店で立ち見した本を、やっとこさで図書館から

借りて読むことこととなりました。図書館の本は、いつも貸出中でありまして、

これは借り出し予約をしなくてはと、手続きをしましたら、今月に入って借りる

順番がまわってきました。この本はすでに購入済でありますが、いまは知人の

ところへといっていて、いまだ当方の手もとには届いていません。図書館から

借りて読むので、まずはそちらで保管していてといってあるのです。

 ということで、鷲巣力さんの「加藤周一はいかにして加藤周一となったか」

を読むことになりです。この本を読む前に手にしていたのは、「日米交換船」

でありますが、これがなんとも絶妙につながっているのでありました。

加藤周一はいかにして「加藤周一」となったか――『羊の歌』を読みなおす

日米交換船

 今回の鷲巣力さんの本の一つの目玉は、加藤周一さんの親族関係が一覧

になっているのですが、加藤さんの父方の親族はほとんど何人も掲げられない

のでありますが、母方のほうは名前の知られた方なども親族に連ねて、なるほど

なであります。

 加藤さんの「羊の歌」の書き出しが「祖父の家」となるわけですが、この祖父

というのは母方でありますし、その1ページ目には、次のような印象に残る記述

があります。

「(祖父の)家産が傾きはじめると共に、娘の結婚の相手方の資産の程度も、

次第に小さくなったのである。」

 「小さくなった」とはいっても、庶民の暮らしからすれば、別な世界に住む一族

であったようです。

 母方の親族について鷲巣さんの書くところです。

「加藤の親類関係は祖父熊六を中心にして結ばれていた。したがって、母方の

親類関係は親密であり、父方の親類関係は疎遠である。母方の親類には二人

の従兄がいた。一人は熊六の長女幾子と藤山竹一とのあいだのひとり息子で

あり、のちに外交官となった藤山楢一である。」

 この藤山楢一さんは、祖父熊六さんの家で成長したとありまして、その隣家

で加藤さんも暮らしていたとのことです。年齢は四歳上ということですから、

子供のころはよく遊んだのかなと思ったりしますが、鷲巣さんは、加藤周一さん

旧制高校時代に書いた小説「従兄弟たち」という作品を読んで、「加藤が

楢一に好感をもっていなかったことが、おそらく楢一も加藤に対して好感を

持っていなかったろう、その作品からも窺える。なによりもその権威主義的な

言動が加藤の気にいらなかったようである。」と書いています。

 鷲巣さんの書く所によりますと、この藤山楢一さんは「昭和天皇皇后の訪米

随行した外務官僚である。情報文化局長を経て、駐イギリス大使などを務め

る。『一青年外交官の太平洋戦争』には、熊六や岩村清一のことに触れられる

が、加藤のことは何も記されていない。」だそうです。

 残念ながら鷲巣さんの本には索引がないので、このあと藤山楢一さんが

登場するのかどうか、現時点ではわからないのですが、この藤山さんは、鶴見

俊輔さんが、米国から帰国した「日米交換船」の同乗者で、こちらの本を書く

ための参考図書の一つが、藤山さんによる「一青年外交官の太平洋戦争」と

なっていました。

 「日米交換船」を見ても、この方が加藤周一さんの従兄弟とは書かれてい

ないようですから、ちょうど二冊を併読していることから、このようなことに気づ

きました。

 どこかで鶴見さんが藤山楢一さんについての人物評でもいっていれば、面白

いのですが、これはなくて、藤山さんはその著書に書かれることに関連して登場

するのみでありました。