頭にのって

 年明けの読書生活が、わりかし順調であったこともあり、自分へのご褒美

で本をすこし買うことになりました。まったくお手盛りとは、このことでありまし

て、誰も褒めてくれない(このブログを読んでくださっている、奇特な方は別

かもしれませんが)のでありますから、自分くらい褒めなくてどうするのかで

す。

 本を買うにあたっては、やはりもすこし大義名分が必要となりますので、

2月は誕生月であるしとか、所得税の確定申告をしたら還付が期待できるか

らとか、いろいろと言い訳を考えることになりです。

 そんなこんなで確保したのは、かって新刊の時には、手が出せなかったも

のであります。今から20年前の新刊時には4500円という定価でありまして、

しかもけっこう読みにくい著者のものですから、手をだすことが出来ずであり

ました。

 数年前に、この著者の代表作を読み通すことができたことから、これであの

随筆集を確保してもいいかなと思いました。それから二年であります。昨年に

は、夫人による回顧ものも読んでおりました。

 今回確保したのは、次の二冊であります。

錯節 1977‐1985 (大西巨人文選 3)

遼遠 1986‐1996 (大西巨人文選 4)

 ついている月報がなかったり、帯が欠けていたりしますが、それにしても

びっくりするほど値段が安い。ずっと欲しいなと思っていたのですが、やっとこ

さで、手許におくことができるようになりました。

 まあ一気に読むとか、頭から全部読むということはできませんので、気が

向いた時にあちこちのぞいてみることになりです。

 本日に目についたのは、「私の義憤」という「群像 1987年10月号」掲

載のものです。それからすこし引用。

大西巨人作『娃重島情死行』(本誌八月号)に対する後藤明生・秋山駿・

松本健一座談『創作合評』(本誌九月号)を読み、私は、一人の批評家とし

て義憤を発した。・・この『創作合評』は、総じて残酷にも如実に評者三人の

頭脳不明皙(批評力及び鑑賞力の欠如)を物語る。そして、それは、彼ら三人

がいずれも(1)語の否定的な意味において『保守的な』すなわち旧弊極まる

文学観ないし小説観の持ち主であり、(2)日本自然主義末期的あるいは因

習的な人間観ないし性愛観の権化である、ということを歴然と証明する。」

 ちょっと不完全な引用でありまして、大西巨人さんが生きていましたら、

このような、ちょっと端折った引用など許されることもないでしょう。それにし

ても何をこんなに怒っているのでありますかですね。

 「創作合評」での三人の発言をひく形で、それに論戦を仕掛けるのですが、

まあまあなあなあの世界で暮らしている、当方には、そうまで言わなくてもと

思ったりです。このような方でありますから、あのような作品「神聖喜劇」が

生まれたのでありますね。