「大波小波」東京新聞 2

 東京新聞「大波小波」で検索をかけておりましたら篠田一士さんの文章を話題として
いるものがあがってきました。
 当方は篠田さんの本は持っているのですが、その文章のことは記憶に残っていなくて
あらためてそれを読んだ次第であります。昨日に引用した小田切秀雄さんの文章には、
篠田さんが「大波小波」の執筆者であったことがあるとあったのですが、篠田さんの
著作には、それらは収録されていないと思われます。
 吉田健一さん、丸谷才一さん、篠田一士さんたちの昭和30年代といえば、國學院
講座をもっておられた頃のこととなりますね。
篠田さんの文章は「『大波小波』の五十五年」というものですが、昭和63年1月23日の
東京新聞に掲載とのことです。昭和63年といえば1988年のことですから、そろそろ30
年近くも前の文章です。まずは篠田さんのこれから引用です。
「むかしといっても、ほぼ十五年ほどまえだが、そのあたりまでは、どの新聞にも、
『大波小波』風の匿名欄があって、文学好きといわないまでも、文学トピックに多少の
関心をもつ読者を楽しませ、書く方も種さがしに懸命、腕によりをかけ、六百字のスペ
ースのなかに、ときには秋霜烈日、ときには笑いこけるような面白おかしい文章を書い
たものである。ところが、現在は、「大波小波」だけが、匿名批評の場になっているの
は、さまざまな困難にもかかわらず、東京新聞の、とくに文化欄の責任者たちが、代々、
その意味合いの重大さをよく承知し、これを支持してきたこと、そして、執筆茶も、
また、「大波小波」ならば、いい加減なことを書くわけにはゆくまいと、一入発奮し、
話題つくりに、あの手この手と工夫をしてきたこと、この二店が、半世紀をこす匿名欄
を成功させ、栄ある歴史をつくってきたことは、いうまでもない。」
 東京新聞に掲載のものですから、すこしよいしょとしていないこともないでしょうが、
すでにこの時点で、「大波小波」が新聞コラムでは唯一無二の存在となっていたことが
わかります。
 篠田さんが執筆者であったことを頭におけば、文中にある「種探しに懸命、腕により
をかけ」からのくだりは、篠田さんの心がまえでもあったのでしょう。