なんとか最後まで

 黒川創さんの「鶴見俊輔伝」の最後までなんとかたどりつきました。

 鶴見さんの本は、若い頃からずいぶんと買っているのですが、さっぱりと

読むことができていなくて、それこそ鶴見さんの本だけで未読の山が一つ

できそうであります。

 単行本の時に買って、読むことができないうちに文庫化されて、それを

読まなくてはと思っていて数年であります。雑文集は、それなりに読むこと

ができていたりするのですが、本格的なものはまるでだめです。今回の

黒川さんの「鶴見伝」に力を得て、未読のものをすこしでも開いてみること

にいたします。

 今回の「鶴見俊輔伝」を読んでみて、はじめて知ったことで一番驚いた

のは、鶴見さんの弟さんの存在でありました。

 黒川さんが「帰りの夜道などでたまたま並んで歩いているとき、弟が悪

くてね、片足を切らなくちゃならないと、ふともらすのを聞いた」ことで、

「それによって初めて、この人に弟がいることも知ったのではないか。」と

書いています。

 他の家族とくらべると、ほとんど弟さんについては書き残していないは

ずで、それについても黒川さんの説明がありです。

サラリーマン働きがいの研究―「これから」をどう生き抜くか (1982年)

 黒川さんの本によりますと、上に掲げたのは鶴見さんの弟 直輔さんの

著作とのことです。なるほど、いろんな家族がいることであります。

 とりあえず未読の山から抜いてきた鶴見さんの本は「日米交換船」であ

りまして、鶴見伝を脇におきながらこれを読んでみることにします。

日米交換船