謹賀新年

 病中からではありますが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 薬のおかげで快方にむかっていることを実感することです。昨日よりも

熱がさがっていて、解熱剤を服用すると36度台になることもありですが、

あまり薬に頼ってもいけませんので、ほどほどにしなくては。

 身体が楽になってきたら、すこし本を読んでやりましょうと思いました。

年末年始用にどっと本を借りていますし、そのうえ本も買っているのですか

ら、外出禁止令がでているというのは、おとなしく本を読んでいなさいと

いうことであります。

 読みかけの本をそっちのけにして手にしたのは「ニュルンベルク合流」と

なりです。 

ニュルンベルク合流:「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の起源

ニュルンベルク合流:「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の起源

 

  注までいれると600ページを超える大部のもので、評判を眼にしなければ

なかなか手をだしにくいものです。当方は翻訳が出た頃に、書評を眼にしてい

るはずですが、この時はまるで眼に止まらずでした。

 いまだ十分の一くらいしか読んでいないのですが、語らることのない過去と

残されない資料と家族の歴史として読んで興味津々です。

 最初のところを読んでいたら、ヨゼフ・ロートとかシュテファン・ツヴァイク

名前があがっていて、この時代におけるユダヤ系の作家の代表格といえば、

この人たちになるのかと思って、こうした人の文章を読んでもみたくなること

です。

 著者は祖父の足取りを追うのでありますが、出身地のリヴィウという町の

位置づけについて、次のように書いています。

「1914年9月から1944年7月のあいだだけで、この町の支配者は八回変

わった。オーストリア=ハンガリー帝国に属する『ガリツィあ・ロドメリア王国、

クラクフ大公国、アウシュビッツ公国、ザトル公国』をまとめる首都としてしば

しば君臨したあと、この町支配者はオーストリアからロシアへ変わり、また

オーストリアへもどり、その後短期間西ウクライナの一部となり、その後

ポーランド、そしてソ連、次いでドイツ、再びソ連にもどって最後にウクライナ

支配下に入り現在にいたる。」

 30年ほどの間に8回ですから、それこそ昔は良かったという声が聞こえて

きそうであります。昔というのはツヴァイクがいうところの「昨日の世界」であり

ましてハプスブルグ家が支配していたとなります。

 新年ということもあって、この時間はウィーン・フィルのニューイヤー・コンサー

トを見物中でありますが、この楽団自体がオーストリア=ハンガリー帝国の栄華

を今に伝えるものでありますね。

昨日の世界〈1〉 (みすずライブラリー)

昨日の世界〈1〉 (みすずライブラリー)