ちょうどこの時期の朝日新聞夕刊は、「サラエボ100年をたどって」という連載を
しています。本日の書き出しは、次のようになります。
「1914年6月、皇太子をサラエボで暗殺されたオーストリアは、セルビア王国が糸を
引いたと判断した。1カ月後、セルビアに宣戦布告。それぞれについたドイツやロシア
・英・仏といった大国同士の戦いは、予想を裏切る泥沼となった。4年後、オースト
リアは敗戦国、セルビアは戦勝国となっていた。」
オーストリアとセルビア王国というのがまずは戦争になったのでありますね。これ
が第一次世界大戦となるのでした。
その前に「オーストリア帝国」について見てみましょう。ヨーロッパの歴史に暗い
当方には、次のものがありがたい。
若い読者のための世界史(下) - 原始から現代まで (中公文庫)
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フランツ・ヨーゼフが、ウィーンのホーフブルク城で政治を執っていた。幼かったわた
しは、シェーンブルンの庭園を馬車で行く老紳士の彼をみたことがあるし、彼のおごそ
かで豪華な葬儀のこともおぼえている。彼は、多くの民族、多くの国々を支配する、
古い意味での真の皇帝であった。オーストリアの皇帝であり、ハンガリーの王、ティロル
をおさめる伯爵であり、かつまた、十字軍遠征以来のエルサレム王、聖墓守護者など、
過去から受け継いだ無数の称号を身にまとっていた。イタリアの多くの地方が彼自身の、
それ以外の地は彼の家族の支配下に置かれていた。さらにはクロアティア、セルビア、
チェコ、スロヴァキア、ポーランドなど、数多くの民族の上に彼はたっていた。」
ゴンブリッチは1909年にウィーン生まれでありますので、オーストリア皇帝を子ども
の頃に見ていても、なんの不思議もなしです。
それにしても、オーストリアではなくてハプスブルグ家が支配していた範囲の広大な
ことであります。
第一次世界大戦に敗れたことにより、「オーストリア帝国を構成していた諸民族、
チェコ人、スロヴァキア人、ハンガリー人、ポーランド人、南スラブ人は、それぞれ
独立し、独自の国家を築いた。」とあります。
これはパンドラの箱をあけたようなところがありますね。「民族自決」です。