「図書」9月号から 3

 本日も「図書」9月号から話題をいただきです。
 書物を話題にした文章の3つめは「江戸の編集者」という横田冬彦さんのもので
す。
「日本で最初に出版された農書『農業全書』 元禄十(1697)年に本文十巻、
付録一巻で、京都の柳枝軒という新興の書肆から出版された。このことがもつ書物
文化史上の意味を考えてみたい。」
 冒頭で、このように記されています。仏教書や医書などはすでに数多くでていた
とのことですが、農書は、なぜこの時期になってやっとでるようになったかについて
書かれていました。
 これについて、「読む人、書く人、作る人」のそれぞれについて検証がなされて
います。
 農書でありますからして、読む人は農業に関係している人でありますね。その当時
の農民のどのくらいが本を読むことができたのでありましょう。
 書く人は、宮崎安貞という人だそうです。
「安貞は、福岡藩士を三十歳過ぎで引退して牢人となり、自ら農業経営を行うととも
に、老農たちにも農術を尋ね、さらに山陽道畿内の先進地農法も調査した。じつに
四十年以上にわたる研鑽の成果をまとめたのが『農業全書』だった。」
 牢人とあるのを見て、なんとこれは誤植でありますねと思うのが情けなやでありま
す。時代小説などを読んでいる人には、当たり前のことかと思われますが、当方は
牢人という言葉からは牢屋に入れられた人しか思い浮かべませんでした。もちろん
当方の表記では浪人でありますね。
 そして作る人であります。
 版元は京都の柳枝軒でありますが、これをプロデュースしたのは貝原益軒であった
とあります。
「益軒には農民という読者がそれなりに見えていたと思われる。益軒は判から地誌
編纂を命じられて、古記録や古文書だけでなく、地名や名所、旧跡、寺社、祭礼、
伝承などを現地調査するために領内全域の村々を順次廻村した。彼の日記には、
村々の庄屋宅などに宿泊し、そこに集まってくる近隣の庄屋や古老たちと『夜話』
をしていた様子が帰されている。・・
 したがって、益軒は村の庄屋クラスの農民が、それなりに本を読める読者である
ことを知っていた。」
 これに続くくだりは、とっても刺激的でありまして、興味深いのでありまして、
是非とも原文にあたっていただきたしです。
 とここまで記して、最近に図書館の新刊棚で手にして、数日借りだした本のことを
思い起こしました。

日本近世書物文化史の研究

日本近世書物文化史の研究

 なんと、この「江戸の編集者」の筆者は、この本の著者でありました。どうりで、
貝原益軒のことがでてくることであります。
「日本近世書物文化史の研究」は、頭におかれたものを、ちらっと読んだだけであり
ましたが、「図書」の文章を読んだら、また手にしてみたくなりましたです。