不都合なことは

 不都合なことはなかったことにしようというな話が、この国にはいっぱいありです。
これがこの国の伝統なのでありましょうか。不都合な指摘があった時には、どこに
証拠があるのだといったりしますものね。とっくにそんな証拠は焼却されているわけ
ですから、安心してそう言い張ることができるということになります。
 これって戦争に負けたか、勝ったかに関係があるのかな。戦争に負けたら、戦争犯
罪人として責任を追及されるから、証拠につながるものはないほうがいいし、勝った
場合は責任を追及されることがないので、特に不都合な資料は処分されることはない
のかな。
 図書館から借りて居る本に海老坂武さんの「戦争文化と愛国心」があります。これ
と「シベリア抑留」をあわせてつまみ読みしているのですが、「戦争文化」ということ
は「抑留」という言葉のなかにも反映されていることがわかりましたです。

戦争文化と愛国心――非戦を考える

戦争文化と愛国心――非戦を考える

 1934年生まれの海老坂さんは、「私の子供時代はすっぽり戦争文化のなかにあった」
と書いています。
 戦争文化の文脈のなかで捉えると「抑留」でありますが、「シベリア抑留」という
本の冒頭のところでは、次のように記されています。
「本書では、分かりやすくするためソ連に移送、抑留された日本人庄平の歴史を社会
的に広範に利用されている『シベリア抑留』と表現しているが、彼らのことは抑留者
ではなくて捕虜と定義している。・・ソ連に移送された日本人将兵を『抑留者』と呼
ぶのは日本だけで、その背景には複雑な経緯があり」
 いくつかの理由があるようですが、その二つは「ポツダム宣言」受諾の解釈に関する
もので、一つはまさに戦争文化によるものになります。
 それについて、1982年生まれの小林さんは「日本人の捕虜に対する差別感である。
戦時中の日本軍や日本社会は捕虜に対して極度にネガティブな印象を持ち、それを
戦後もひきずっていた。」と書いています。
 それにしても、「シベリア抑留」に関してはソ連に膨大な公文書が残っていて、それ
があるために、いろんなことがわかってきていることになるのですが、この国では、
公文書の提供を他の国から求められても、応えることは難しそうであります。