ありえへん世界 7

 現在もウズベキスタンで発掘調査をしているだろうと思われる加藤九祚さんであり
ます。ウズベキスタンの場所がどのあたりにあるか知っている人はすくないであり
ましょう。当方は、今回手にした岩波新書シルクロードの古代都市」についている
地図を見ても、国の場所がぼんやりしています。
 ウズベキスタンタジキスタンアフガニスタンとも接しています。めったに日本
からは行く人がいないといわれていましたが、そういえば、昨年にサッカーのワールド
カップのアジア三次予選のグループCに日本とウズベキスタンがはいっていて、2011年
9月6日にはウズベキスタンで日本代表が試合をしたのでありました。三次予選は、
けっこう苦戦でありまして、この時はウズベキスタンが一位で勝ち抜けたのでありま
した。このアウェーでの試合には、日本からも結構な数の応援団がいっていまして、
ほとんどこれまで例がないほど多くの日本人がウズベキスタンを訪問したのでしょう。
この試合はウズベキスタンの首都 タシケントで行われていましたが、ここは、
加藤九祚さんさんの居住地からはるかに遠いとこのようです。
「アイハヌム遺跡に足を踏み入れたのは2003年11月3日、タジキスタンからモーター
ボートでアムダリア(ピャンジ川)を渡ってのことだった。これが実現できたのは
ひとえに在タジキスタン日本大使館の三好功一大使ほか館員の方々のおかげである。
ここに深く感謝する。大使館の仕事は外交面だけでなく、文化の面にもあることが
よくわかった。館員たちの語学力のすごさにも感銘を受けた。」
 大使館員というのは、もともと地味な仕事であるということがわかります。
国といっても超大国からふけば飛ぶような国までありますので、館員の仕事といって
も多岐にわたるのでありましょう。
「筆者は数十回に及ぶ中央アジア旅行の中でアムダリアの上流、中流下流を何度か
見ていたが、朝夕の姿を毎日みるようになったのは、1998年3月24日、岸辺にある
クシャン時代の仏教僧院跡カラテバの発掘にとりかかってからであった。以後、
13年間合計でまる三年間あまり毎日この川とともに暮らし、いつも慰められた。
 春と秋、アムダリア沿いに飛ぶ鶴の群れに筆者たちは空を見上げて手をふったこと。
ついでに言えば、筆者は鶴の群に特別の感慨をもっている。第二次世界大戦後シベリア
で四年八ヶ月にわたって抑留生活を送ったが、一時期バイカル湖から流れるアンガラ川
の岸辺で建設のための土掘をしたことがある。そのときは川に沿って飛ぶ鶴の群れを
見上げて、うらやましく思った。」
 シベリアの鶴は、秋になると南下して日本に来て、春になるとシベリアへと戻り
ます。いつまで続くかわからない抑留生活でありますが、シベリアの鶴たちは、
確実に南へと移動して、そのなかには日本を目指す群もいたのでありました。