時間が足りないか

 今月に入ってから野暮用にでる日数が増えたせいもありまして、自分の自由となる
時間がどんと少なくなっています。眠る時間とか、庭の見回りにでる時間はあまり
変わらないようにしていますので、そうなりますと、減りますのは本を手にしている
時間でしょうか。
 このところは、バラがつぼみをつける時期となっていまして、それにあわせるよう
にアブラムシが発生で、朝起きて外にでましたら、アブラムシ退治に一時間はあっと
いうまに経過です。それでいて全部は見回りできないのですから。とにかく薬剤を
使わずに退治をするとしたら、指でひねりつぶすしかありません。手袋をしていたら
相手が微細なだけにつかむこともできずで、なかなかむずかしいことです。
 そんなことは、まるで本が読めていないことの言い訳になるのかですね。
 何冊かの本を、あれこれつまみ読みしているのですが、一番読もうと思っている
辻邦生さんの「西行花伝」にブレーキがかかっていて、なかなかページがかせげて
いません。いまのところ250ページくらいですから、まだまだ先は長い。
 あとは、図書館から借りている細見和之さんの「投壜通信の詩人たち」であります
ね。思ったよりも読むことができるのではないかという感触を得ているのですが、こ
れは、斜め読みであっても、ページをめくっていかなくては。
 ぱらぱらとページをめくっていたら、このような記述がありです。
「結論的にいうと、エリオットの反ユダヤ主義はじつにステロタイプで表層的である。
ユダヤ人』ということで彼が具体的にイメージできた人物がどれだけいたかもじつ
は怪しい。しかし、偏見とか差別とかは元来そういうものなのである。むしろ、そう
いう典型がT・S・エリオットであって、だからこそ彼の反ユダヤ主義にはきちんと目
を向けておく必要があるのだ。」
 これのすこし前には、日本ではT・S・エリオット反ユダヤ主義のことは、ほとんど
言及されることがないとありました。当方も、初めてそのことを知りました。