しばらくお休みでした

 図書館から借りていた「古都の占領」を返却して、しばらくお休みにしていたマンの
「ブッデンブローグ家の人々」の読書再開です。池内紀さんの本を読んで、今年は切れ
間なしにドイツ物を読み継ごうと思ったのですが、なかなかそうはいきませんですね。
 先日にブックオフへといって、単行本では持っているものの未読である小説の文庫本
を買ったのですが、全六冊のうち最終五巻のみがなくて、この文庫は、どんな構成で
あったろうかと、辻邦生全集の書誌が掲載されている巻をひっぱりだしてきて、その
へんを見てみました。
 そうして辻邦生が書いた文章をチェックしていましたら、そこに「望月市恵先生のこ
と」というタイトルがみえました。辻邦生さんは、このような文章も残しているのかと
思ったのですが、もともとは「信濃毎日新聞」に連載したコラムで、辻さんが亡くなっ
た翌年の一周忌にあたる日付で単行本となっていました。

辻邦生が見た20世紀末

辻邦生が見た20世紀末

 当方が、この本を買ったのはずいぶんと前になりますが、なかをぱらぱらとのぞいた
くらいで、ここに「望月市恵先生のこと」なんて文章があるのは知りませんでした。
 辻邦生さんが、望月先生の訃報に接して書いた追悼文でありますが、その一部を引用
であります。
「先生からドイツ語を学んだのは、終戦の翌年だから、もう半世紀近い昔になる。旧制
松本高校は戦後民主主義の昂揚した熱気につつまれていた。
 望月先生が教壇に立たれたのは、そうした戦後の熱い希望が燃えているさなかであっ
た。先生がテキストに使われたのは、トーマス・マンの『来るべきデモクラシーの勝利』
で、そこには、ヒットラー・ドイツに対して、思想的戦いをつづける一人の平和的文学
者の信念が、力強い言葉で述べられていた。
 戦時中、軍国主義教育に反抗していた筆者にとって、それは輝くようなメッセージに
思えた。」
 ドイツ文学者は、戦中にはヒットラードイツを礼讃して、敗戦後は手のひらを返した
ようにヒットラーに批判的であった作家の紹介に奔走したといわれるのでありますが、
もちろん望月市恵先生に関しては、そのようなことはないです。
辻さんは、望月先生の授業が楽しくて、待ち遠しかったと記しています。
「マンの『魔の山」はヨーロッパ文化全体を扱った傑作だが、先生はそれを見事な日本
語で訳された。」
 当方が読んでいる岩波文庫の「ブッデンブローグ家の人々」も望月市恵訳となりです。