いよいよ苦しいか

 今朝に起きだしてスマホを手にしてみたら、これが電源が落ちていました。

あらまどうしたろうかと電源の長押しをしても復旧せず、しょうがないと裏蓋を

あけてバッテリーを取り出し、再度セットしましたら、無事に起動しました。

先日もこのようなことがあったな。最近は自宅にいてWi-Fiでつながらないこ

とがあったりして、そろそろかえ時になっているのか。ちょうど3年前に購入し

た値段の安いLGのもので、アンドロイドも4.4からあがらないし、ストレージも

8Gですからね。なんとかあと一年は使いたいと思っているのですが、けっこう

使い続けるのは苦しいかな。

 古いLGは、裏蓋をあけると簡単にバッテリーが交換できるというのが、好ま

しく、NEXSUSとは違うUSA向けのLG850というのを入手してしばらく使って

いたのですが、こちらは液晶がダメになって早々に文鎮化となりました。

 日本国内むけにはLGのSIMフリースマホは、ほとんど出回らなくなっていて

まあそんなにLGにこだわることもないかであります。

 それはさて、昨日に届いた「本の雑誌」からであります。

本の雑誌426号2018年12月号

本の雑誌426号2018年12月号

 

  今回目についたのは、西村賢太さんのコラムにあった、次のくだり。

「 9月11日(火) 

  夕方、携帯メールに二つの朗報が入る。二十年来の課題。ようやくに

 門戸が開かれた。腕のなる思い。・・

  久方ぶりの慶事感に舞い上がり、何も手につかない状態となる。」

 二つの朗報で、ひとつは略してしまいましたが、そこには「この上なくうれ

しいとありました。二十年来とか、この上なくとかいう慶事とは何でありま

しょう。

 このように記されているのを見ますと、なんとなく随分まえに西村さんが

無名であったころに作られた全集内容見本に関係があるのではと思って

しまいます。

 この翌日の日記には、「『小説現代』連載、『誰もいない文学館』の最終

回を書く。掉尾は<西村賢太編『藤澤清造全集』内容見本>篇。同誌の

休刊に伴い、全二十八回で終了したが、自分にとって実に有難い仕事で

あった。」とありますが、この二日間は、つながっているのかいないのかで

あります。

 このくだりを見て、「小説現代」が休刊に入ったと知ったのですが、この

「誰もいない文学館」の最終回は、ちょっと見てみたいもの。

 なんといっても、西村賢太さんが手がけた出版物で、古本市場で一番

高額なのは、この藤澤清造全集内容見本でありましょうし、この全集が出

せないとしたら、作家を続けている意味がないと思われますからね。

 この慶事がなんであるかは、そのうちに明らかになるでしょうが、ほんと

なんでありましょう。