3増2減

 返却期限となった本を返すために図書館へといってきました。借りていて

読むことができないものを再度借り出ししたりして、二冊返して三冊借りると

なりました。結局は3増2減でありまして、これからの二週間で、すこしでも

読まなくてはです。

 借りてくるのは、新刊の棚にあるものが中心でありまして、本日はこのとこ

ろ入厠読書でなじんできている周作人の「読書雑記」を借りてみることにしま

した。

 周作人の書くものに惹かれるのか、それともこれを翻訳しようとする人たち

に興味を感じているのかわからないことでありまして、最近ちらちらと読んで

いる冨山房百科文庫「周作人随筆」の巻末におかれている木山英雄さんに

よる「整理の後に」という文章が興味深いことです。

 これの書き出しは、次のようになりです。

日中戦争が終わるまで、周作人の翻訳・紹介がほとんど故松枝茂雄先生ひ

とりの手でおこなわれたことを知る人はよく知っているけれども、半世紀も経っ

た今、訳書は滅多に目に入らなくなった。」

 これが書かれてから20年経過でありますので、周作人の存在すらも知られ

てなく、ましてその翻訳者のことなどであります。

この百科文庫版が刊行される前年の1995年に、翻訳された松枝さんは亡く

なってしまい、生きているうちに刊行できずで残念と「整理の後に」にはありま

した。

 1984年くらいに企画されたものが、どうして刊行までに12年もかかった

のかというのが、木山さんの文章に記されています。

「その企画は、1984年の暮れにもちあがり、なぜかそれっきりになっていたの

を、ほかのいきさつにより私が脇からせっついて、88年の夏ごろ再び動きだした

のであった。こうして、先生と文庫主任の佐藤康之さんの間で収録作品のリストが

具体的に協議され、訳文の手直しなどの実際的な作業も始まったものと、そう

私は承知していた。ところが、それから1年近くも経ったころ、突然先生の方から

この話をご破算にしてしまわれた。どうやら、昔の訳文に対する編集の注文が

かましく、その遣り取りのなかで先生がむかっ腹を立てられたということの

ようであった。温厚と謙譲の徳にかけては君子の鑑みたいな人を怒らせるとは

よほど熱心な編集者なのかもしれんぞ、と私は思わぬでもなかったが」

 結局は木山さんがとりなして、松枝先生は編集者と復縁して、これの刊行に

むけてすこしずつ動きだすのですが、それからも編集者と翻訳者の間で激論が

続き、しかも編集者はあれこれとたくさんの企画を抱えていたことから、遅れに

遅れたとのことです。

 結局のところ、編集者佐藤さんは、これが冨山房での最後の仕事となった

とのことです。

「 たまたま本書の仕事を限りに書肆を辞するという佐藤さんの善戦を讃え、

前途の充実を祝したい。」

 こんな骨っぽい編集者はどういう人かなと思って、佐藤康之さんで検索を

かけてみましたら、当方もこの方が担当した冨山房の本の世話になっている

ことがわかりました。今は三陸書房という版元をお一人でなさっているようです。

この三陸書房のページにご本人が書いたものがあり、それを見ましたら、

なるほどこういう人であったのかと納得がいきました。

小社について|三陸書房
 

周作人随筆 (冨山房百科文庫)

周作人随筆 (冨山房百科文庫)