月がかわって、何日かたっておまたせという感じで「みすず」11月号が届き
ました。月刊誌の11月号というのは、前月の10日くらいに書店に並ぶという
のが普通になっていまして、それがために書き手は、11月号のためには8月
くらいには書きはじめることになりまして、不自然なこと極まりなしです。
まあそれが印刷メディアの宿命であるのかもしれません。出版業界では、年
末進行ということがいわれますが、ネットメディアでも年末進行というような
ことはあるのでしょうか。
毎月に届く「みすず」で必ず目を通すのは、小沢信男さんの「賛々語々」と
池内紀さんの「いきもの図鑑」であります。どちらも1ページの長期連載もの
でありますが、池内さんのは179回とありますので17年目にはいり、小沢さん
のものも95回ですから、9年目ですか。
月に一度でも小沢さんの書き下ろしのエッセイを読むことができるのは、と
てもうれしいことです。このエッセイは、過去の73回までが「俳句世がたり」と
してまとまっていますが、次の一冊にまとめるまでは、もうすこし時間がかかる
ようです。
今月号で小沢さんは、池田澄子さんの句から「人類の旬の土偶」 という
言葉をとりあげて、それから上野で開催された「縄文展」に出品された土偶の
話題へと転じていきます。
ちょうど7月から9月にかけて盛夏の特別展で、ずいぶんと評判が良くて、
観客もおおかったようですが、ひどい炎天下で入場待ちの行列に並ぶという
のは、小沢さんには難しかったようで、残念ながら足を運ぶことができず、図録
を入手し、それで楽しんだとありました。
その上で、縄文のビーナスでは胸よりも下半身がアピールされているのに、
泰西名画においては、なぜに胸が豊満に描かれているのかとつながります。
ケネス・クラークの著作でもひもとけば、これへのヒントを得ることはできるで
しょうかね。