新書版「谷崎純一郎全集」第23巻に収録されている「きのうけふ」という
文章を読んでいます。数日前にも言及したのでありますが、昭和17年に発表
されたものですから、ほとんど80年も昔の「きのうけふ」であります。
このエッセイで谷崎は周作人の随筆集「瓜豆」について話題としています。
松枝茂夫さんの翻訳によって読んでいるのですが、まずは松枝さんが紹介
する周作人についてのくだりを引用しています。
「1934年正月、彼(周作人氏)は五十歳に達したのを自ら寿ぐユーモア詩
二首を発表して、左派の青年達から趣味的幽黙的有閑文人といふ烙印を
押され、猛烈な漫罵酷評を受けたことがある。そのとき林語堂が彼を弁護して、
周作人の詩は冷中静あり、沈痛を幽間に寄せたものであると云った。
この評語は甚だよい。以って彼の作品全体の評語とすることができると思ふ。
周作人は反語の名人である。・・
周作人は畢竟愛国者である。その点さすがに血筋は争われぬもので、
兄の魯迅と少しも異なるところはない。」
このような引用を続けたあとに、谷崎は「昨年周作人氏が来朝した時、
京都に於いてちょっと一時間ばかり同席する機会を得」として、そのあった
時の氏の印象を書くのでありました。
いまや魯迅の作品ですら読まれているのかどうかでありますからして、
周作人などを読もうという人はほとんどいないでしょうが、平凡社の東洋文
庫に周作人読書日記というのが、着々と巻を重ねていて、これは値段も高い
し、とっても手がでないのですが、図書館にならんでいるのを見かけると、
読むことが出来なくとも、借りてみようかなと思うことです。
この「瓜豆」集については「日本に関することばかりでなく、支那に関する
こと、西洋に関すること、魯迅に関すること等いろいろの随筆が集められて
ゐて、著者の博識を窺ふに足る」と書いています。
そういえば周作人読書日記についての書評にも、周作人の博識に触れて
いるものがあったことです。