周作人随筆

 昨晩に通夜から戻ってきて家に入ろうとしましたら、遠くのほうから鳥の鳴き声が

聞こえてきました。この時期のことでありますから、夜に鳥の声といえば、渡り鳥の

集団となります。夏の間を過ごした北の地から、越冬のための南の地へと移動であ

ります。月がほとんどでていないせいもあって、声はすれども姿は確認することがで

きずであります。この鳥の渡り、今月いっぱいはあるでしょうが、果たして目撃する

ことはできるでしょうか。

 昨晩は通夜で、本日の午前は法事となりです。このところ、数珠を手にしてお参り

することが多くなっているようです。これも年齢のせいでありましょうか。

 本日も「周作人随筆」を手にしながらつまみ読みしておりました。冨山房百科文庫

の「周作人随筆」は、昨日に貼付けしましたようにシリーズの最終巻となったもので

す。冨山房百科文庫は、スタートしてからずっと表紙はコーティングされた白い厚紙

でしたが、終わりころになりますと、この白い厚紙にかえて、かっての表紙にすりこ

まれていたマークがプリントされた茶色の厚紙となり、それにカラーのカバーがかか

るようになっていました。なんとなく、イメージが統一されていなくて違和感があり

ますね。読むには、まったく関係はないのでありますが。

 周作人という人は、著名な魯迅の弟でありますが、当方もこの本を手にするまでは

それ以外のことは全く知らずでありました。それにしても、1920年代において親

日であるという経歴は、その後の人生にどのような影響を与えたかであります。

 この百科文庫版のあとがきを書いている木山英雄さんの文によりますと、次のよう

にあります。

「周作人に関しては、その人が抗日戦争の対日協力のかどにより、国民政府の『漢

奸裁判』にかけられて下獄し、さらに人民共和国のもとでも同じ汚名を負ったまま

閉門蟄居を余儀なくされたのを、辛い思いではるかに気づかいながら」

 気づかったのは、この本の翻訳者である松枝茂夫さんですが、自分が惚れ込んだ

文筆家が、その国の事情によって、活動を制限されるようになるというのは、なんと

もつらい話であります。

「先生(訳者の松枝さんのこと)があるよる酒を酌みつつ、周さんは寂しいだろうな

あと呟いて涙ぐまれたのを、併せて思いだす。それすら、当の人(周作人さんのこ

と)がやはりあの汚名を理由として、文化大革命の少年戦士に八十過ぎの老躯を翻弄

されたすえ、まるで捨て置かれたように生涯を閉じた消息が伝わるよりもずっと以前

のことで」

 こういう時代に生きるというのも運命でありますね。