「本の雑誌」12月号

 先日に届いた「本の雑誌」12月号は、特集が「人生は『詩』である!」というもの
です。
 巻頭で「この詩が好きだ」ということで、15名の方が「詩」をあげているのですが、
残念なこと、ここには当方がなじんでいる「詩」がほとんどなくて、いまさらのよう
に詩から遠くにいるなと思ったことです。
 誰か一人くらい飯島耕一さんの名前をあげてくれていたら、うれしかったのにね。
 この特集で喜んだものに、北村薫さんの「待ち伏せ年代記」という文章があります。
この文章の書き出しに「かって『詩歌の待ち伏せ』という本を書きました。一部の方々
には驚くほど好評でした。さまざまな時に、わたしを待ち伏せしていた詩歌について
語った本です。」とあります。もちろん、このような本があったことも知りませんで
した。

 この「詩歌の待ち伏せ」というのは、シリーズとなって文庫化されているのですね。
これは、こんど探してみることにいたしましょう。
本の雑誌」12月号では、このシリーズで取り上げたもののなかから、いくつかを年
代順に紹介をしています。
 当方が喜んだのは、そのなかに次の文章があったからです。
「その頃、『虚無への供物』を読み、中に出て来るポオの『大鴉』の、日夏耿之介
にしびれました。中学生の頃、文学全集の一冊になっているポオを買いましたが、そ
の訳とは全く違う。・・・・
 中井先生は、 これでなければ駄目だ、という。これには洗脳されてしまいます。」
 どうやら、これは北村さんが高校生のころのことのようです。
「虚無への供物」を高校生の頃に読まれたか、インパクトがあったろうな。
この文章には、書影が添えられているのですが、これは講談社文庫の元版でありました。
「虚無への供物」ファンのほとんどは、この作品を初めて読んだのは講談社文庫版で
ありましょうし、この作品を文庫化するために講談社に入ったという編集者がいたこと
も、この文庫元版を特別なものとしているのですよね。 
 先日に喫茶店(カフェというようです)にいましたら、となりにすわった若い男性が
文庫本を手にしていて、何を読んでいるのかなと思ったら、これが「虚無への供物」で
ありました。はじめて若い人がこの作品を読んでいるのを目撃したのですが、これが
上下二冊となった文庫新版でありまして、惜しいなせっかく読むなら旧版でしょうよと
声をかけたくなったのを、ぐっとがまんでありました。