本日の話題は新聞夕刊からです。新聞の購読が激減しているとか耳にするのですが、
なかでも夕刊の部数は悲惨なことになっているのではないでしょうか。
( 当方のところが購読の全国紙夕刊の様子をみますと、販売店のおやじさん一人で
配達しているようなので、たぶんあっというまに終わってしますのでしょう。)
この町は夕刊のブロック紙が強くて、立ち話をして新聞といえば、ほとんどの場合は、
このブロック紙のことであったりします。朝刊は北海道新聞で、夕刊はブロック紙と
いうのが、この町のスタンダードです。
当方は、すこしへそまがりですので、その昔から全国紙を購読していまして、これの
夕刊(朝日新聞ですね)には、加藤周一さんと吉田秀和さんのコラム。吉田秀和さんの
場合には音楽会批評が掲載されていましたので、夕刊を楽しみにしていました。
いまはそのような名物コラムは姿を消していますが、やはり夕刊に掲載の音楽、映画
などの情報は貴重なものであります。
それで本日の朝日新聞夕刊に掲載の記事であります。ここには作家の「温又柔」さん
が登場していて、見出しには「国籍の『線上』でなく『真ん中』で」とあります。
「真ん中」というのは、温又柔さんの作品「真ん中の子どもたち」につながります。
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が相次ぐ中、こうした動きを台湾籍の作家、温又柔さんは複雑な思いで見つめる。
芥川賞候補になった自伝的小説に対する批評もきっかけに、グローバル化が進む日本社
会にとって『国籍』とは何なのか、改めて問いかける。」とあります。
国籍というのは、国の法律で決めるものでありますからして、その国々によって、
取り扱いはいろいろとあるのでありましょう。日本のものは、より厳しい取り扱いを
している国よりは緩くて、多くの移民を抱える国と比べると極めて厳しいことになり
ます。
日本では二重国籍を認めないとか、父親国籍を優先するというルールがあって、まず
は、それで悩むことがありです。日本で子どもが生まれた場合、父親が日本人であれば、
生まれた子どもは無条件で日本国籍を有することになりですが、母親が日本人、父親が
外国籍でありましたら、無条件とはなりませんですね。これは、生まれた子どものせい
ではないのですが、そのことで差別されたり、悩んだりする子どもがでてくることは
想像に難くありません。
この記事には「真ん中の子どもたち」の芥川賞選評において、作家宮本輝さんのコメ
ントが引用されているのですが、それには「日本人の読み手にとっては対岸の火事で
あって、同調しにくい」とありました。
「対岸の火事」とはよくぞいったと思いますね。もちろん大阪に住んでいても、北海
道の田舎に住んでいても、どこにいても「対岸の火事」ではないですよね。
日本の農村で嫁不足となってフィリピンや中国から嫁いできた女性との間に生まれた子
どもや、国内に数多く住んでいる朝鮮半島にルーツをもつ人々のことをお忘れかな。
そうした人々のことを「対岸の火事」と言いきれるのが素晴らしい(?)ことであり
まして、蝦夷地とかアイヌモシリといわれた土地に移り住んできた四代目の自分は
宮本さんの対岸に住んでいることだなと、つくづく思うことであります。