図書館から借りた本 3

 図書館から借りた「東京の編集者 山高登さんに話を聞く」夏葉社を見ていました
ら、山高さんが担当した内田 百けん「日没閉門」の書影が掲載されていました。
 この本について、山高さんが次のように思い出を書いています。
「最後に担当した本は『日没閉門』(昭和46年)です。そのとき百けんさんは八十歳
を越えていましたから、ほとんど寝たきりでした。奥様が看てらっしゃいました。・・
『日没閉門』の制作にかんしては一任されていましたが、見返しに家紋をいれてくれ
とだけいわれました。
 本ができたのは百けんさんの葬儀の日でした。・・
 刷り上がったばかりの『日没閉門』をお棺に納めて、すぐに出棺となりました。ぼく
も棺をかつぎました。」
 当方は高校の頃に、下宿が一緒だったおじさんが捨てた「小説新潮」で百鬼園随筆
知ることができました。従って、百鬼園先生が「いやだからいやだ」といって、藝術院
会員を断ったことや、亡くなった時の訃報記事なども目にしておりました。
亡くなった時、当方は二十歳であるわけですから、ずいぶんとじじむさいことでした。
 当方が初めて購入した百鬼園先生の新刊が、遺作となった「日没閉門」でありました。
当方の購入した「日没閉門」は三刷でありますから、その頃すでに初版本に拘りを持っ
ていた当方としては、再版本を購入したというのは異例なことでした。
さすがに刊行されたすぐには購入する決断がつかなかったのでありましょう。
 今回、山高さんの本を見て、架蔵する「日没閉門」を探し出してきました。



 三枚目の写真が、内田家の家紋が入っている見返しであります。
 それにしても、この本ができたのが百鬼園先生が亡くなった日であったというのは、
知りませんでした。
 昔は、ずいぶんとぜいたくなつくりの本があったことです。