本日はTSUTAYA系へ

 お盆といっても、時にふだんとかわるところがなしであります。
 本日は外出したおりにTSUTAYA古書店に立ち寄りました。ほとんど期待すること
なしに書棚のチェックをしていたのですが、ここでは次の本を立ち見することがで
きたのですが、これが以前の拙ブログ話題と重なり、現在図書館から借りてきている
本とも話がつながるのでありました。

父系図?近代日本の異色の父子像?

父系図?近代日本の異色の父子像?

 この本のことは知らずでありました。どんなもんであろうと思って目次をみました
ら、この最後に書き下ろしの文章がありまして、そこには信木三郎さんと息子さん、
そして坪内父子との関係のことが書かれていました。
 かって、丸谷才一さんの文庫本「猫のつもりが虎」を話題とした時に、それが掲載
され、丸谷さんが編集顧問をしていた「JAPAN AVENUE」というのは、どういう雑誌で
信木さんは、どのような人であるのかと記しておりました。
http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20100416
猫のつもりが虎

猫のつもりが虎

 このあと、この雑誌のことについては、坪内さんが別のところに書いたものかど、
すこしわかってきたのですが、『父系図 近代日本の異色の父子像』 廣済堂出版には、
そのことが詳述されていました。なるほどなです。
 信木三郎さんは、講談社インターナショナル社専務をしていたということはわかっ
ていたのでありますが、坪内さんは、その前には「タトル商会」に勤務していたと
記しているのでした。
 「タトル商会」といえば、図書館から借りてきている宮田昇さんが勤務していたと
ころではないですか。あわてて「出版の境界に生きる」を手にしてページをめくって
みましたら、「タトル商会」の同僚としての信木さんが描かれていました。
 宮田さんの本から引用です。
「タトル商会時代の後半、私がいちばん苦労したのは組合運動でした。タトルでは社
員の給料に非常なデコボコがあった。自分はこれだけ仕事をしたから給料を上げろと
社長に直接いいに言った連中は上がる、そういう観念がない人間は年に一度の定額し
か上がらないという、いってみればアメリカ式の給料だったのです。
 そのような状況下で発足したタトル商会労組の委員長には、のちに日本リーダーズ
ダイジェスト社の社長になった出版部の大儀見薫、役員には同じくのちに講談社
インターナショナル専務になった営業の信木三郎や私といったそれぞれのセクション
の担い手がなった。日本人全員が組合員ですから、社員会のようなものでした。
・・・出版労協の中執になった信木さんは、労協の大会の最中に麻雀をしたとかで
降ろされるとタトル商会を辞め、講談社に英文図書の出版を持ち込んで行きました。 
 それで講談社インターナショナルが発足します。講談社の野間省一に斡旋したの
は、出版労協の委員長の楢崎国武です。」
 昭和30年代後半の話となります。宮田さんがタトル商会を離れて新しい会社に参加
したのは、1967年とのことです。